Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

勘定奉行 萩原重秀の生涯

勘定奉行 萩原重秀の生涯」村井敦志。

勘定奉行萩原重秀といえば、巨額の賄賂をむしりとり、貨幣の改鋳(改悪)を繰り返した悪党というのが世間相場である。
時代劇でよくある悪代官「山吹色のかすていら」を受け取り「越後屋、そちも悪のよう」などという人物の原型といえるのじゃなかなろうか(笑)
ところが、その「悪代官の代名詞」萩原重秀の評価に真っ向から挑戦するのが本書なのである。

そもそも、萩原重秀を「稀代の悪徳奉行」として糾弾したのは新井白石「折りたく柴の記」なのであるが、問題はここである。
つまり、新井白石の糾弾以外に、萩原重秀の悪行(賄賂)を書き残した記録がない。
萩原がとったと言われる賄賂の巨大さからみて、それは不審ではないか、ということである。
それどころか、新井白石という人物が、およそ融通のきかぬイシアタマで、とにかく気に入らないとなったらすべてダメという、まるでどっかの国の野党党首並の人物(笑)であったことから考えると、ますます「折たく-」の記事を鵜呑みにできないわけだ。

さらに、萩原が行った貨幣の「改悪」だが、本当にそんな拙劣な経済政策だったのか?
実はそうでなく、仮に現代の経済学者が江戸時代に生まれていたら、萩原と同じ政策を行った可能性は十分にある。
現在の貨幣は「紙」である。なんで「紙」がお金になるかといえば、政府がその流通を保障しているからという「信用力」しか根拠がない。
かつて、お金は「兌換紙幣」つまり「金」と交換可能であった。
実質貨幣から名目貨幣に移ったのは、ニクソンショックの時であるから、そんなに遠い昔のことではない。
萩原は、「名目紙幣」への移行を先取りした天才的経済閣僚だった可能性があるわけで、彼が代官を任じられた佐渡にその優れた才能の片鱗を感じることができる。
萩原は、公共投資による生産性の向上を行った。もっぱら収奪しか眼中になかった江戸時代の閣僚において、出色であるといっていい存在なのである。

筆者が、本書の後半で指摘するのは、萩原が新井白石に刑死させられたという推理である。
実際に、あれだけの有名人でありながら、萩原重秀の罷免後の人生については伝わっていないのである。
この疑問を、丹念な資料読みで探る著者の眼力には感心するほかない。

評価は☆☆。
相当面白い本である。

萩原は、おそらく、たいへん才能のある人物だった。
才能がある人物は、そのために身を滅ぼすのである。逆に、おのれの身が滅ばぬ程度の才能なら、大したことがなくて結構だということだ。
たとえばベートーヴェンはどうか。ウィーンの聴衆に死ぬまで悪罵を投げつけたベートーヴェンであったが、当時のウィーンでもっとも人気なのはロッシーニであった。
ロッシーニに才能がないとは言わないが、しかし、だからベートーヴェンにかなわない。ベートーヴェンの才能は、彼の人生を苦しみに満ちたものにしたのだから。

そんなことを思い出した。
才能があるから幸福だとは限らない。私は、凡百で幸いだったというべきなのである。