Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

三種の神器


三種の神器」稲田智宏。

三種の神器といっても、「カー」「クーラー」「カラーテレビ」のことではない。正真正銘、ホンモノの天皇陛下の宝物の話である。

実は、三種の神器には変遷があり、火災で焼失したり、戦災などもあって、本書によると現在オリジナルと思われるのは「八咫鏡」のみである。これは、宮中の賢所にある。
天皇陛下崩御された場合、ただちに践そが行われて、皇太子が皇位を継承されるわけだが、そのときに神器を引き継ぐ儀式が行われる。そのときは「神璽(八尺瓊勾玉)」と「神剣(草薙の剣)」をもって儀式を行う。皇位の継承があったことを、その後に「八咫鏡」に報告することになっている。
以上でわかるように、神器の中で「八咫鏡」だけが格別の扱いとなっている。これは、いつの頃からか、よく判明していないそうであるが、たぶん他の神器と違って変遷がない故であろう。

神器は、天皇陛下ご本人ですら見てはいけないものなので、その正体は判然としない。

なお、「八咫鏡」も火災があって鋳造しなおしたという話が俗説であるが、本書によると、結局そのままのようで、ただ複製が作られたようである。

火災で焼失したのは「神璽(八尺瓊勾玉)」であって、これは複製をもって換えられたようだ。ただし、勾玉が、実はどんな形をしているのか、全く伝わっていない。普通の「曲玉」なのかとも思われるが、伝統的に「神璽」と呼ばれることから、実は印鑑ではないか?という説もあるようだ。

悲劇で有名なのは、草薙の剣で、オリジナルは安徳天皇とともに海に沈んだ。これは、当時の知識人達にとって衝撃の事態であったらしい。日記や記録では、沈んだのは複製ということにしたので、オリジナルが熱田神宮にあることになっているが、これは違うものであるようだ。
現在の宮中の草薙の剣は、熱田神宮があらたに奉納したものである。

評価は☆。この謎めいた宝物については、大いに興味をかき立てられるところである。

ところで、この本を読んで「草薙の剣」に関して、ひとつ思い当たったことがある。
平家物語伝では、安徳天皇と抱えた女官が、草薙の剣を抜き、腰にたばさんだまま、天皇を抱いて入水まいらせたことになっている。そのとき、剣が光を放ち、誰も見ることができなかった。しかし、こっそりと「見た」者もいるのではないか、と思うのである。
草薙の剣の形状は、古代剣として、いわゆる両刃で真ん中がふくらんだ形状ではないかと想像されている。
そこで思い出すのが、奇妙な「岡益石堂」である。この不思議な建築物は、伝承では「安徳天皇陵」とされてきたが、学術調査によって年代の相違が明らかになり、正体は謎のままである。この奇妙な建築物が、天皇陵として何百年も人々の手で大切に保存されてきたわけであるが、そうすると「明治以前の人々は天皇がどんな人かなんて知らなかった」はずなのに「知らない人の墓を大切に守ってきた」ことになって、現在の歴史学上非常に都合が悪いので、無視されているわけである(笑)。歴史は「事実」ではなくて、現在の「解釈」にすぎないのだなあ。

それはそれとして、この岡益石堂の特徴は「エンタシス様式」つまり、円柱の中央部が膨らんでいることである。まるでギリシア建築のようであり、おそらくシルクロードを通って半島経由で我が国まで、その様式が伝播したと考えられるわけだ。
この「中央部が膨らんだ様式」が、実は失われた「草薙の剣」を連想させるものだったのではないか?つまり、壇ノ浦で「草薙の剣」を見た者がいて、その者達の口伝が、岡益石堂の形式を連想させたために「安徳天皇陵」となったのではないか?と思いつきである。

瀬戸内の海に沈んだ草薙の剣がどんな形をしていたのか、今ではもはや知るすべのない話である。