Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

大義に死す

大義に死す」阿部牧郎。副題は「最後の武人・阿南惟幾

阿南は、終戦の日切腹した陸軍大臣である。この日、海軍の大西滝次郎切腹、海軍参謀長の宇垣纏は特攻機で飛び立ち、帰らなかった。

本書は、阿南の幼少時代と、長じて陸軍士官となってからの時代の2部がリフレインするような構成になっているところが特色である。その1部で、阿南があこがれた乃木希典将軍の「凡将」ぶりと、一方で古武士のごとき一途な忠誠心が描かれる。
乃木は、明治帝の大葬の日、殉死して切腹。乃木婦人も後を追って自決する。
陸軍幼年学校にいた阿南は、「これぞ武士」だと強く思い、自分もあのような武人になろうと決意する。幼年学校の同期に山下奉文、陸大時代の同期に(年齢は阿南が3浪したため上だった)石原莞爾がいて、阿南は自分の才覚が彼らにはるかに及ばないことを自覚せざるを得ない。特に、石原とあっては、まったく次元が違う。
「石原は児玉源太郎のような名采配をふるうが、自分は凡才だ」だから、ひたすら誠をつくすほかないと思いつめ、己をますます厳しく律する。その態度は、やがて周囲のものから一目おかれるほどになっていく。

そして大東亜戦争である。
阿南は、それまで戦っていた中国と、まったく違う米軍の力に驚く。中国でも、日本軍は常に数の上では中国軍に対して劣勢だったし、弾薬も不足していた。しかし「守れば足らず、攻めればすなわち余るものなり」と常に積極攻勢をかけることで、勝ち続けてきた。そこで大事なのは「必勝の信念」であり、「七生報国」死をも恐れぬ心ばえであった。
ところが、米軍は常に空海陸が一体となり、空襲、艦砲射撃、上陸用舟艇で物量をもって攻めてくる。阿南の武士道は「世迷いごと」であり「空念仏」であった。典型的な日本軍人であり、乃木将軍を尊敬して育った阿南は、この現実を認めることができない。それが武人だ、と阿南は思うのである。
しかし、戦局は好転せず、ついに御前会議が開かれる。
阿南は、天皇の心が和平にあることを知りつつ、彼と同じ武人のために「徹底抗戦」を主張。ご聖断によってポツダム宣言の受諾が決まると「大御心に背いた」「国を誤り、たくさんの兵を死なせた」ことから「一死もって大罪を謝す」と遺書を残し、切腹して死んだ。

評価は☆。決して阿南の礼賛にならず、しかし一方で自虐反省節に陥ることもない。こういう書き方でいいのではないか、と思った。

著者は、阿南の「武士道」が米軍の物量の前に「空念仏」であり「世迷いごと」であったところから、戦後の日本人の利己主義、経済優先主義が始まったと指摘している。確かであろうと思う。「精神」の文化は、物質文明の前に塵芥のごとく雲散霧消した。武士道は、一発の銃弾にすら抗し得なかったのである。

阿南が死んだことで、陸軍はようやく天皇詔勅を受け入れる。高位高官が腹を切ったことで、彼らの面目はたったのであろう。そう考えると、阿南は多くの日本人を救ったともいえると思うが、正直複雑である。

明治以来の日本の「武士道」は、乃木で頂点を極め、阿南でその終焉を迎えたのである。今日、滅多なことで「武士道」など唱えるものではない。やむをえないことである。