Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

医師不足

救急車の受け入れ拒否とか、産婦人科医師の不足、地方の無医村区の増加など、わが国はたいへん医師不足であるようだ。

参考までに。
江戸時代にも医者はいた。で、当時は「今日から医者です」といえば医者であった(笑)
江戸時代は「職業選択の自由」なんてなかったじゃないか、と思った方は、戦後教育のせいなんである。実は、自由がなかったのは「土地」である。つまり、農民の耕作放棄はできないし、武士の領地も放棄できないので、跡継ぎが必ず必要である。そうでなければ没収、お取りつぶしである。だから、長男にとっては確かに不自由であった。しかし、次男坊三男坊は気楽だったので、勝手に商売をやっていた。逆にいえば、土地という生活手段がないわけだから、なんでもして食わなければいけない。

江戸時代は、国家による医師の認定試験なんてないので、今日から「医者です」といえば医者なんである。
ひどい話だと思うかもしれないが、当時の医療技術など、たいしたことはないので、あまり問題にならなかったということもある。それ以上に、誰でも医者になれるので、患者の確保には「評判」が不可欠であった。患者の立場になって考えると、藪医者がごろごろいるわけである。危なくて仕方がないから、とにかく腕がよいと評判の医者に行くようになる。かくて「自然淘汰」が行われ、藪医者は勝手に転業するわけである。ま、転業も気楽なんであるけど(笑)

昨今の医師不足を見てみると、2つの要因があると思う。
まず、医師になるハードルが高すぎるのであろう。もうちょっと、藪医者をつくるようにした方がよいのではないか、ということである。もちろん、暴論であるから、そのつもりで聞いてもらいたいが、歯科医師などは数が多すぎて、廃業も少なくない。一時、歯科医師不足があって、その対策でちょいとハードルを下げたのだな。同じ手が使えるのではないか、と思うのである。
第二に、医療費が保険制度によって点数化されている弊害だ。医師の腕の評価もないし、事実上24時間勤務の産婦人科などは報酬が低すぎるのであろうと思う。普通の経済原理ならば、不足している産婦人科の医師の報酬は鰻上りになり、産婦人科になりさえすれば蔵が建つ(古いかな?)くらいの状況になってもいいはずである。だけど、現実は、相変わらず同じ点数報酬でやっているから、志望者も増えない。

なんでもかんでも「国のせい」だというので、国はなるべく文句のつけられない立派な医師を作ろうとしすぎるのだと思うな。ひどい言い方をすると、人はいつか死ぬものだし、運が悪くて死ぬこともある。この世は、しょせん不条理である。

もうちょっと、いい加減にやったほうが、案外うまくいくのではないか、と思ったりするのである。