Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

私が終わる場所

「私が終わる場所」クリス・クノッブ。

帯に「オヤジ再生ミステリ」とある。オヤジとしては嬉しいので、すぐに購入。
主人公のサム・アキーロは、ある大企業の技術者であった。それが、自分の部署を経営陣が売却しようとしているのに立腹して、上司を殴って会社を辞めた。
他社に部門を売却すると、人員が超過するので、人員整理を行わなければならない。これに関わる取引にサムは怒った。
で、結局父親の建てたピーコック湾に面する家で無為徒食の日々を送っている。
このあたりは、アメリカのハードボイルドでよく使われる手なのだが、アメリカでは「両親の家にそのまま住む」のは「意気地なし」とか「落伍者」という意味があるのだな。
そんな中で、ある日、彼の隣人の老婆が浴槽で死んでいるのが発見された。いったんは事故死、身よりも親戚の男が一人ということで、簡単に解決しそうに見えたが、サムはこの死に不審を抱き、近所に身よりのない老婆の遺言執行人となって調査を開始する。
そして、そこに、かつてとは大きく異なり、ただの田舎の海沿いの町だったピーコック湾が高級リゾート地に変貌したことによる、大規模な開発計画が絡んでいることを知る。。。

この小説を「オヤジ再生ミステリ」と呼んで良いものかどうか。
何しろ、こいつを読んでいると、昼間から酒を飲んで居眠りする生活が悪くないと心から思えてしまうのである。
私なんか、そうでなくても隠棲したいなどと考える人間だ。適当に年金を食いつぶしつつ、海辺を眺めてひたすら飲む毎日なんて最高じゃないか、などと考えてしまった日にゃあ、もう堕落に一直線。
オヤジ再生どころか、オヤジそのまま酔いどれジジイのできあがりである。これはいかん。

よって、評価は☆。ま、ハードボイルドとしては、まあまあの出来じゃないかと思うけど。

ちなみに、タイトルの「私が終わる場所」とは、そのまま主人公の住居のことである。苦い意味があるわけだ。

それにしても。
つまりは、アメリカだろうが日本だろうが、男子一生の仕事は「自分の城を持つ」ことになってしまうわけだ。アメリカの住宅事情は素晴らしい、などと言ったのは昔の話。ニューヨークだろうがサンフランだろうが、日本より高い家賃で、かつウサギ小屋である。
そういう街では、必然的にカフェが流行る。客室もないわけだから、仕方がない。友人と会うのはカフェになってしまうのだ。
アメリカの小説を読んでいると、カフェの有無が都会か田舎かを描き分ける重要なポイントになっている。
日本でも、よく考えると事情は同じなのだが、あまり日本の小説家はそのあたりを意識していないようで、田舎町に出かけた探偵が平気でカフェに入る。「その町のだた一軒のカフェ」に入るわけだが、アメリカの小説だと、あまりそういう描写はしない。そういう場合は、たいてい探偵はモーテルで安酒を飲んでひっくり返る。

それにしても、最近ハードボイルドばかり読んでいるなぁ。ハードボイルドを読むと、酒量が増える。それも洋酒ばかり。
いっそ鬼平でも読むか。日本酒が増えるに違いない(笑)