Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

寓話 説明責任

ある男が、実に凶悪な殺人を行ったというので逮捕され、裁判の結果死刑判決を受けて収監された。

死刑は、必ず朝に執行されることになっている。執行の日がいつなのか、本人にもわからない。
「いよいよ明日こそ執行の日ではないのか」
男は一晩中、恐怖のために懊悩し、半狂乱となって泣き叫ぶ。他人を殺したときは平気だったが、いよいよ自分が殺されるとなれば恐ろしい。

男の夜ごとの狂乱ぶりは収まる気配もなかった。
その様子を見かねたのか、看守がある日、男にささやいた。
「仕方がないなぁ。。。ホントは、言っちゃならないことになっているんだが。。。」
看守は男を見やる。
「あのなあ。。。絶対に、他言無用だぞ。。。実はな、お前には執行がないことになっているんだよ」
男は、いぶかしそうに看守を見る。看守は続けた。
「あの○○じいさん、とうとう執行がないまま、先月に亡くなっただろ?ほかにも、もう30年も執行がない人が何人もいるだろ?」
たしかに。男はうなずいた。
「あれなぁ。実は、裁判の結果だけじゃなくてさぁ、、、法務省内で、実は内々に検討会があるのさ。それで、なかにはな、検討会の結果、執行しない囚人もあるわけさ。もちろん、釈放はできないんだけどな。でも、執行もない。これは、代々の法務大臣に申し送りされるんだ。。。お前の殺人は凶悪だが、ま、それでも情状がないわけでもない」
看守は言う。
「だから、お前は執行しない囚人になっているんだ。安心しろ。ただし、一切ばらしちゃダメだ。俺がばらしたとなれば、俺も役人生活終わりなんだ。ここだけだぞ」
男は、なるほどと頷いた。たしかに、未だに執行されない囚人は珍しくないのだ。そういうわけだったのか。

男は、それから心が落ち着き、ようやく平穏を取り戻した。
毎朝が心配なく迎えられる有り難さにも自然に感謝の気持ちが生まれた。たまには、自分の犯した罪を思い出す。悪いことをしたと反省する気持ちも生まれた。

そんなある日のこと。早朝、看守がやってきた。
「おい、すまんな。今日だよ。知らせがきた」
男はとまどった。
「なんのことですか?」
看守は告げた。
「お前さんの執行さ。悪いが、今日でお別れだ。」
男は逆上した。
「なんだと。話が違う!俺には執行がないのじゃないのか」
看守は首を振った。男は悟った。
「あ!欺したな!この野郎、よくも俺を欺したな!」
看守は、またしても首を振った。
「いや、よく聞け。お前は、そのウソのおかげで、今日まで安らかな日々を送ることができたではないか。毎日毎日、明日は死刑かと懊悩するより、ずいぶんと幸福だったのじゃないか」
「そんなことを、よく言えるな。偽りの平穏さなど」
「何をいうのだ。お前は、たしかに平穏な日々を過ごしたじゃないか。何が偽りだというのだ?あのまま放置していれば、お前はついには発狂したかもしれない、それほどの有様であったよ。いずれ、死は迎えねばならぬのだ。それまで、なんとか心安らかな日々を送ってもらいたい、そう思ったから偽りを言ったのだ。偽りを言って、苦しんだのは自分である。お前ではあるまい」
男は、なおも言いつのろうとしたが、そのまま何人かの他の看守達が刑場にまで引っ張っていってしまった。
看守はため息をついた。
「俺は恨まれよう。仕方がない。このウソは、死刑担当の看守には代々受け継がれている秘密だけど、皆苦しんできたのだから。そうかといって『こんなカラクリになっています』などと説明した日には、それこそすべての死刑囚の平穏な日々もなくなってしまう。言うに言えない。ないことにするしかない。私は嘘つきだが、嘘つきでしたと懺悔することさえ許されない。それこそ、自分は楽になるだろうが、ほかの誰の幸福にもならんことだから。巷間では、説明責任などという言葉が流行っているそうだ。実に気楽でうらやましいことだなあ。」