Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ぼちぼち結論

「ぼちぼち結論」養老孟司

養老さんのエッセイも、ぼちぼち終わろうということらしい。で、このタイトルになったようだ。私は、それでも、この人の本が読みたいけど。
結論なんて、まあ、どうでもいいじゃないか(笑)

野球において、結論はスコアである。たとえば「6対1でレッドソックスの勝ち」それが結論。だから「結果がすべて」なら、スコアだけ見ればいい。そもそも試合を見る必要がないではないか、と思う。
過程を楽しむのがゲームで、結論は勝負ということになる。趣味だってそうである。過程を楽しむから趣味(目的と手段が入れ替わるから面白い)なので、つまり過程を楽しむほうがヒマ人で、結論だけあればいい人は忙しい。楽しみたい人と忙しい人が議論をしても噛み合うわけがない、と思ったのが「落合采配」なので、私はどっちでも興味がないが、過程を楽しんだ人が真の勝者だろう。
なんのこっちゃ。

養老さんの議論は過程が楽しい。つまり、人生における「暇」の効用そのものにつながる。時間を無駄にしないことが良いとされるのは、効率がいいからだけど、人生の楽しみは無駄をすることにある、ということに最近気づいた。ちょっと遅いか?

それはともかく。
ぼちぼち結論なので、養老さん、かなり言いたい放題である。面倒くさくなったのだろうな。だから、ハラハラもんの放言が出放題になっている。

・いろいろな国に虫取りに行った。アジアで行っていないのは、中国、韓国、朝鮮の3国だが、行きたくない(笑)
・そもそも国の成立の正当性が「反日」なんて、、、ねえ。
靖国参拝は、行きたい人が行けば良いので、その人が首相でもルールが変わる訳がない。そういう「公的な事情」をなるべく排除するのが現憲法の狙いのはず。
アメリカが中東に行くのは石油が狙い。
・テロを行って迷惑するのは民衆だけ。
・最初に結論があってデータが作られるのが科学の現場なので、自称「データ主義」なんて信用しない
・自分は、世間の関係でできるもので、自分探しなんか無意味。

ここまで言いますか(笑)もちろん、全部もっともなことだと思う。

評価は☆☆。養老さんの本なので。(笑)

おもしろい話で、アメリカ文明は石油がつくった、というのがあった。テキサスから今世紀初頭に石油がわき出て、アメリカは今のアメリカになったのだ、ということ。カウボーイの世界を、いかに延長しても、今のマンハッタンはできない。だから、アメリカは石油をほしがる。
しかし、アメリカに石油を売らない、と公言しているアルカイーダは、たとえばどうか?彼らの資金源は何か?これも、つまるところ石油に決まっている。

教育問題と「交換」を論じた話も非常に面白かった。
教育を、「何か分からないが知識を貰うサービス」と考えると、中身がよくわからない商品となる。だから、買い手(生徒)の態度が悪いのは「値切り行動」だというのが内田樹氏の意見で、養老先生も同意されたらしく、「交換性」について補足している。
つまり、交換をする者同士には、地位が不変であることと、同時性が存在する。この「同時性」の指摘が面白い。
たとえば、法隆寺がある。ある人が「法隆寺を買いたい」と言ったらどうか?いくらかを出せば、論理的には法隆寺を買い取ることは不可能ではないかもしれない。
で、買い取った人は「買ったものをどうしようと勝手」だから、法隆寺にペンキを塗るかもしれないし、システムキッチンをつけるかもしれない。
それは困る、と思うと、実は法隆寺を建てた人はどうなのだろう?と思う。法隆寺を建てた人は、そこで聖徳太子から報酬を貰って引き渡しをしたので、仕事は終わっている。何年も経って、価値が出たのは、その後のことだが、それを建てた人は分かっているだろうか?
おそらく、分かっていて、ちゃんと年月が経ってありがたみも増すように建てたのに相違ない。けれど、取引は終わってしまっている。
現代文明の建物はみなピカピカだけど、それは交換が同時だから、交換したときにもっとも価値があるように建てられているからだ。現代の建物の価値は、いつまで経っても「新築同様」であることだ。
そういう取引の仕方だと、教育は出来ない。教育は「交換」の同時性には向かない、教育は「変わる」ことに価値があるから。

へんな説明になってしまったけど、なんとなくわかった。なんとなく、で結構ということである。このあたりがどうしても「バカの壁」なんだろうねえ。