Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

余はいかにして腰抜けとなりしか

小学校4年生の夏休みが終わった日のことだった。
クラスには、委員長をしているM君という子がおり、彼の家庭は教育熱心で、彼自身もクラスで1番の秀才であった。そんな彼を、もちろん私は尊敬していたものである。
その彼が「僕、ヒロシマの原爆記念館に行ったんだ」と話し始めた。

我が家は、昔から貧乏暇なしであり、そのような施設まで遠出するようなことはないのである。
彼の話を、私は熱心に聞いた。
そのM君は、熱心に原爆の惨状を語った。

やけどでベロリとはがれた、ケロイド状の皮膚。
一瞬に、飴細工のように溶けたガラス。
腰掛けた人の影が焼き付いてしまった石。
炭の固まりでしかない弁当箱。

M君の話は真に迫っており、あまりの凄惨さに私は息をのんだ。実は、このとき、あまりの恐ろしさにしばらくは怖くて夜中におしっこにいけなくなったほどであった。

M君は、最後にこう締めくくった。
「原爆は、絶対だめだ」
私は、深く頷いた。
「本当だ。」
そして、一つの質問をした。
「そんな恐ろしいことをしたのは、誰なんだい?」
アメリカさ」
M君は、きっぱりと答えた。私は、再び頷いた。
「そんな恐ろしい国には、絶対に逆らってはいけない。また、やられたら大変だもん」
M君は、奇妙な顔をした。
しかし、彼がなんでそんな表情をしたのか、私にはわからなかった。

栴檀は双葉より芳し。おもえば、齢10歳にして、私はすでに腰抜けであった。
もっとも、なぜ他人がそう思わないのか、どうして怖くないのか、私にはわからないのだけど。

さて。
後年、「あのとき、もっと早く降伏していれば、あんな悲劇は避けられたのに」という批判があることを知った。
「まったくそうだ。つまり、最初から降伏していれば、悲劇はない。もっとも賢明なのは、開戦してから降伏することではなく、戦う前から降伏しておくことである。すなわち、米国の属国、これが一番安全である」
もちろん、論理的に穴はない。これぞ平和教育の成果、完璧なる帰結である。
ところが、なぜか、平和主義者は、そのようには主張しない。誠に不思議なことである。

アメリカにも言うべきことは言うべきだ」と主張するのはよいが、その場合に「3発目」をどう考えるのか?という問題は常にある。
「何をいう、今は60年前とは違う。そんなことにはならない」
ところが、同じ人が、「60年間戦争していない自衛隊」は明日にも戦争するという。いったい「60年間なかったことは、再起する可能性が高いのか・低いのか」さっぱり分からない。同じ時間軸を、本人の好き嫌いで評価しているとしか思えない。その場その場で言うことが変わるので、結婚詐欺の手口と同じ「そのときはそう思った」。これは、思想という名には値しないのじゃないか、などと思う。

などといえば。
「腰抜けの癖に何を言う」と言われるわけで。

へい、まったくその通りでございます。。。