Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

模倣犯


「楽園」を読むまえに、以前に中途挫折したこれを読了しようと思ったわけである。
なぜ中途挫折したか?といえば、あまりに悲惨な救いのない犯罪者の描写に、ちょっとついて行けなかったからだ。

で、なんとか気を取り直して。
はい、今度は読了できた。ふー。

きっかけは、ある公園で切断された女性の片腕と定期入れが発見されたこと。その近所で行方不明になった豆腐屋の孫娘が被害者でないかと推察された。
犯人は、大胆にもテレビ中継に電話をかけてきて、豆腐屋を営む祖父をおびき出し、嘲笑する。
警察の捜査の結果、なんと女性の片腕と定期入れの持ち主が一致しないことが判明。一気に連続殺人の疑いが高まる。
そこに、さらに次の死体が発見。マスメディアは大騒動に陥る。立ち向かう気丈な豆腐屋の祖父。
事件を取材しようとするルポライターの女性。第一発見者で犯罪被害者遺族の高校生などの人間関係が背後に描かれる。

とにもかくにも「人間の悪意」を余すことなく描き出した作品じゃないかと思う。本当の悪には、悪意がないんですよ。
犯人の二人組、これはもうすごいとしか言いようがない。宮部みゆきの筆力に脱帽。

評価は☆☆。すごい作品です。けど、再読はしないな。したくないもんね。

なんで、ここまで「人間の悪意」を宮部みゆきは描ききったのか?
小説家というのは「私はこう考える」じゃなくて「私にはこう見えた」を書くもんです。「こう考える」は、小説じゃなくて論文ですから。
で、その悪を描ききった著者には、間違いなく「自分の中の悪」を凝視して描いた。それしか、悪の描きようはないから。

そういう意味で、たとえば書評で
「前畑滋子(ルポライター)が作者自身の分身」
だなんて論を読むと、ちょっと納得できないわけですよ。
だって、ただ単に「女性で」「物書き」な共通点でそう思うだけでしょう?けど、前畑の内面で、作者と一致するとは自分には読めませんね。
ズバリ、作者の分身はピースですよ。それしかない。
この作品の主題は「悪」で、それはピースなんですよ。
考えてもごらんなさい。
「筋書きを考えて」「その筋書きが世間にどれだけ受けたか、そればかりを考えている」のですよ。
子供の頃から、自分は表に出ないで、他人をたきつけてばかりいる子供。一見、優等生で、誰からも受けもよくて。
そして、最後に「そのストーリーのはオリジナリティがない」と指摘されて激高する。作家そのもの、だと思いますけどね。
いうまでもありませんが。
ピースの外見は「いつでも、微笑しているような顔」なんですよ。著者近影を見れば、私の言いたいことはわかるでしょう。

つまり、この小説は、宮部みゆきが自身の悪を剔りぬいた作品なんですよ。だから読む方もきつい。そういうことだと思うんです。