Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

連帯責任と冷静な対応

ある外国人が犯罪を犯したとする。
すると、当然であるが、日本人は怒るであろう。「不審な外国人は出て行け」という主張も当然なされる。
しかし、そのような感情的な対応ばかりではいけない。
犯罪というような理不尽な行動に対して、「感情的な対応」が出るのは理の当然なので、感情的な対応をすること自体を「感情的だ」と批判すること自体がそもそも「感情的対応」ではないか、という指摘の正しさは充分にあると思いつつも、「まあまあ、まずは落ち着いて」という声もあってよいものだ。
つまり、月並みだがやっぱり是々非々で、ちゃんと原因を追及し、再発防止を考えなきゃどうにもならんわけである。

よく高校野球で、不祥事を起こした学校が「出場辞退」になったりするが、あれは表向きは「出場を辞退して、再発防止に努めるため」なのだ。決して「連帯責任ではない」ということになっている、表向きは(笑)。
だけど、現実的には連帯責任そのものだから、それなりに批判もあるわけだ。一人の部員がアホだった、だからといって他の部員もとばっちり。戦前の日本の軍隊と同じ、とにかくくさい物にはふたの発想だろうというわけだ。
ところが、その高校野球のスポンサーが、戦後民主主義の守り手を自認する朝○新聞だったりするので、話は迷宮に入るわけだが。

ところで、こんなことは思いませんか?
つまり、沖縄でバカな米兵が、夜の夜中にほっつき歩いていた若い女を「送っていくぜ、ハニー」と声をかけたらウマウマとついてきたもんで、すっかりその気になってご用。まあ、バカはバカとして、だ。
沖縄には2万人の米国人(職業は主に軍人)がいるわけだが、この不祥事のおかげで全員「出場停止」を食っている。表向きは「自粛」である。実際は連帯責任。
で、メディアは「米軍は沖縄から出て行け!」と連日報道。
まあ、実際に米軍がいなくなると、それはそれで困ったことになりゃしませんか、なんて冷静な意見は発禁みたいなもんである。

しかし一方で。
たとえば、毒入り餃子を売りつけ、訪日外国人のなかで犯罪ランキングぶっちぎりのトップを誇る国がある。(わりと近くに)
その来日する某外国人の引き起こす凶悪事件は年間150件はあって、殺人だの強盗だの博覧会状態である。しかし、とくだん自粛の雰囲気はない。あくまで「一部のバカがやったこと」で済んでいる。
つい最近は、日本に毒入り餃子を売りつけたが、「ぜんぜん身に覚えがない話」であると主張し続け、メディアは連日「冷静な対応」を呼びかける。
まあ、実際にその国からの食品輸入が止まったり、人的交流をしないわけにはいかないんですから、なんて「識者のコメント」が毎日紹介されるわけだ。

ここで、私は不思議に思う。
事件そのものの重大さに素直に着目すれば、たとえば米軍事件に対して、どうして「冷静な対応」を呼びかけるマスメディアはないのだろうかね?
また、某国に対して、どうして「この際連帯責任で、某国人は日本から出て行け!」という声は報道されないのかね?「○○の怒り」とやればいいんだろう?

一方には冷静な対応を呼びかけて。
もう一方には、日本から出て行けとあおる。

この際だからハッキリ言うが。
マスメディアの連中は、それなりに優秀な頭脳をもって立派な大学を卒業したので、こんなことは分かっている。彼らは確信犯なのだ。
どうして、このように扱いを変えるのかというと、そういう報道のバイアス(スタンス、という言葉を使うが、意味はバイアスと同じである)を「国民のために」やっているからだ。
つまり、多くの日本国民は愚民なので、彼らマスコミが、ちゃんと愚民どもにわかるように「この事件はこう考えなさい」とメッセージ付きで教えてくれるわけである。
彼らは特殊な民であって、そういう特別な使命を帯びていることになっているのだ。
彼らは特殊だから、30歳で1000万円などという年収を平気でもらう一方で、「格差社会の問題」をしたり顔に報道するのである。
とっても親切である。
愚民として、たいへん感謝している。

できれば、その特殊な使命感をもって、私たちにものを教えてくださるのを、やめてはくださらんか。そうしたら、もっと感謝いたしますのに。