Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

死刑判決

「死刑判決」スコット・トゥロー

10年前の3人射殺事件の犯人とされた死刑囚が、無実の訴えをする。その男は、刑事にトイレに行かせてもらえず、その場でもらしてしまい、恥ずかしさのあまりに「全てを認める」自白をした。
そのとき、男が射殺に使われたピストルの場所を正確に指摘したのが決め手になる。
この刑務所に服役し、肺ガンで死にそうになっている別の男が「真犯人は自分だ」という告白を行ったことで、にわかに死刑囚についてえん罪の可能性が浮上することになった。
死刑囚の無実を信じた弁護士は、男を救おうと動き始める。10年前の事件を再調査するのである。
男の担当判事は美貌の女性であり、取り締まりにあたった刑事と愛人関係であって、次の選挙への立候補を考えている。無実の罪で男を告発したとなれば、立候補に差し支えると考えている。刑事は、そんな女性検事に協力する。
一方、弁護士には、この男に死刑判決を下した元判事が味方する。この元判事も女性で、麻薬におぼれ、その費用を工面するために賄賂を受け取っていたことが発覚して服役していた。
彼女は、更正しようと考えており、自分の下した判決は完全ではないと言う。人間は、誰にでも間違いはあるのだ、ということである。
やがて、事件の調査を通じて、10年前の真実が明らかとなってくる。。。

著者のスコット・トゥローは現役の刑事弁護士であって、アメリカの捜査と裁判制度に関して、実に該博な知識を持っている。だから、この小説も、そういう描写は細密である。
よみながら「なるほど。」とうなってしまう。
しかし、そういう法廷テクニックが、この小説のテーマではない。

この小説のテーマは、「成功と失敗」「信念と自分の過ちを認めること」「真実の追究と赦し」「愛情と仕事」という矛盾の相克である。
それぞれを代表するように、二組のカップルが交互に描かれ、その二組のカップルが法廷で傷つきあいつつ戦う、といった構成になっている。

評価は☆☆。まずまず面白い小説じゃないかと思う。
このように重層的なシンフォニーのような小説は、やっぱり英米作家のほうが上手いのである。日本の作家は、単線のメロディになりがち。
考えてみれば、邦楽も単純な旋律で、あまり対位法めいたものはないなぁ。日本人の特質かもしれない。

ちなみに、最近のテレビで話題になっているように、アメリカでは「第一級殺人」(謀殺)の時効はない。人を、計画的に殺した者は、決して安眠できないのである。
ところで、最近は、計画殺人ではなくて「かっとなって殺した」通り魔的な殺人事件のほうが多い。
じゃあ、なんで「通り魔」の方が罪が軽くて「計画殺人」のほうが罪が重いのだろう?それは、実は刑法では「自由意思」が問題になるからなのですな。
同じ理由で精神障害がある場合、無罪になることはご存じの通りである。
つまり、刑法では「行為」ではなくて「意思」を裁いていることになる。もちろん、「意思」だけで「行為」がなかった場合は罪にはならないのであるが。
そんな話をしていると、刑法理論に深入りすることになり、だんだん専門外になるから、このあたりでやめておこう(汗)

ちなみに、小説そのものは死刑廃止論にも中立である。イデオロギーぬきで、楽しく読むのが正しい姿勢だと思いますなぁ。