Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

公務員クビ!論

「公務員クビ!論」中野雅至。

著者自信が公務員(地方から中央まで)やった人であって、単なる「公務員批判本」ではなく「公務員からみた公務員の先行き」という本になっている。

公務員に対する風当たりが世間で強まっている原因であるが、著者は以下の3点をあげる。
・不祥事(マスコミ報道も含めて)
・民間が本当に苦しくなったこと
・世間が競争原理を許容し始めたこと

もちろん、これらの点は特別に異論を申し立てる筋合いのものではない。
というか、給食のおばちゃんやバスの運転手の年収がなんで1000万円なのか?という問いに対して「年功序列で、みんなが平等だから良いことでしょ」という反論が平然とまかり通るのは、やはり「親方日の丸」の特殊な世界だとしかいえないのではないか、と思うな。

で、これからは、公務員の評価も「格差」が生まれるし、自治体による「格差」や、なかには自治が維持しきれず「天領」になってしまう地域も出るだろう、というような予測が述べられる。
簡単にいえば、公務員と民間の違いがなくなる方向に世の中は進み、「官民交流」のようなことも盛んになるだろう、と述べる。

評価は、、、う~ん。ちょっと難しい。

私は、公務員に関する風当たりの変化に対して、わかりやすくいえば単に世間の風潮だ(先の3点は基本的にそう換言できる)という著者の考えに納得できないのである。
それはなぜか?といえば。
基本的には「小さい政府」への指向というか、もう少しつっこんで言えば「政府って、そんなに必要なんですか?」という問いに対して、政府自身が回答できていないことにあると思うのである。
著者は「政府の仕事には、基本的に採算性がそもそも期待できない部分もある」と述べる。それは「利益と負担のバランス」の問題があるから、である。
わかりやすくいえば、負担が避けがたい部分もあるし、利益が得られる部分もあるということだ。
しかしながら、グローバリズムの出した一つの問い「利益が出ないものって、ホントに存在価値があるんですか?」もあるし、もっといえば「自分さえ良ければいいという利己主義は、別に当たり前の話なので、自分が負担して他人が利益を得るというのなら、政府はいらない」という判断だって有り得る。
そういう人が増えているのだと思う。

私は、たとえば小泉改革に対する支持には、大きくマスコミの力が寄与したと考えている。
なぜならば、小泉元首相の「小さな政府」を、メタレベルでマスコミはすべて支持したからである。
どういうメカニズムか、解説すると。
まず、マスコミが「政府はけしからん!こんな政府はダメだ」と批判する。だいたい、マスコミはいつでもそう言う(笑)「社会の木鐸」だから、それでいいのである。
すると、小泉元首相は「そうだ!だからそんな政府は小さくしよう!いっそやめてしまおう」と言う。
マスコミは、そんな首相を「けしからん」とやる。すると、首相は「じゃあ、そんなけしからん政府は、小さくしちゃいましょう」とやる。
マスコミが、政府批判をすればするほど、そんな政府はなくしてしまおうという小泉改革路線への支持になったのである。
これは、マスコミにとって、戦後はじめての事態であった。
政府とは「権力者で強大である、だから批判しなければならない」というスタンスは、小泉改革への支持以外の何者でもなかったのである。

今、逆に「格差社会だ、地方切り捨てだ」という批判を行うわけだが、それは一方で「じゃあ、政府をもっと強大に」という主張への支持につながる。
弱者保護はいいが、そのための財源、すなわち増税はどうなのか?
で、また及び腰になるわけである。国民の「マスコミは批判するが、それだけじゃないか」という批判は、このあたりの矛盾をついた声である。

私は思うが、国旗国歌問題でも明らかなように、今の日本人はすでに「たまたま日本国に出生した」という「縁」だけで、お互いを支えあっていけるような心性を失ったのではないか、と思うのである。
もしも世の中を、すべて科学的に考えるのであれば、宗教をあざ笑うのと同様に、政府自体もあざ笑うべき対象であろう。
人には、神話を信じる権利もあれば、愚行をする権利だってあるのだが、そういう主張は大勢の支持は得られまいなあ。

であれば。いっそ、政府なんてもういらないんじゃないの。首相自らが、日本人よりも中国に気を遣うような国ですからね。前向きだと思いますよ、フフン♪

そんな国に税金なんざ、払いたくはないなあ。もう、やめにしようよ、、、などと思うようになってしまっても、仕方がないのじゃないか、と。ま、戯れ言ですが。。。