Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ロハスビジネス

ロハスビジネス」大和田順子、水津陽子。

ロハスという言葉は既に定着というか、どっちかというと使われすぎてひどくナウい(笑)言葉になっている感がなきにしもあらずなのであるが、そういうロハスな志向にだんだんと企業もなってきており、そういう動きを伝えるレポートみたいな本。
なるほどねー、と思いつつ読んだわけであるが、なんとなく腑に落ちないものも感じる。

たとえば、同じ品物を買うなら少しでも「環境に優しいもの」「エコなもの」を買う、それがちょっと割高でもロハスだから良い、そういう考え方が広まっていることは理解できる。
私だって、たぶん「すでに世の中の4分の1の人々はロハス」という中の一人だと思う。

けれども、それでもロハス消費に、一抹の「やましさ」を覚えるのだな。
だって、本当の真実を言ってしまえば、そりゃあ「消費しない」のが最もロハスには違いないわけだからさ。

つまり、企業がロハス市場に目を付けたり、ビジネスの方法論としてロハスを取り入れたりすることを批判する気はないので、それは或る意味で、企業として当然の選択肢だと思う。
しかし、世の中の環境問題やエネルギー問題に目を向ければ、そもそも先進国民である私たち自身が「消費しすぎる」ことに、原因があるのだ。
その消費が「ロハスだから良い」となってしまっては、まさしく現代の免罪符じゃないか、という気持ちの悪さである。

ヘンな話だが、「あたしは贅沢が大好き」と公言している人間の贅沢な消費は、自覚があるだけ正常だとも言えるのだ。ま、それが許される状況かどうかは別にして。

だって、誰が考えたって、スーパーでマイバッグを使いましょうと言うより、そもそもスーパーに来る回数を減らしましょう、という方が、はるかに環境には良いんだもん。
それでも、人はガソリンが24円安くなれば、喜んで消費するわけでしょう。もちろん、高くて良いわけじゃないけれども、でも、そもそも「不便を忍ぶ」ところに、本当は向かうべきな心が、ロハスな消費に向かってしまうおかしさ、いびつさと無自覚ではいられない。

評価はナシ。いや、悪書ではないんですが。ちょっと、自分の気持ちの問題としてね。

ところで。
読み終わったこの本だけど。保存するには及ばないと考えると「捨てる」だけど、捨てるのは環境負荷がかかるしさ。
で、「古本屋に売る」とか考える。しかし、古本屋がヘンな形で隆盛してしまうと、著者は正当な形で印税が入らず、ひいてはロハスな活動に支障を来す、かもしれない。
古本を売りに行くのに自動車を使ったら、きっとダメなんだし。私は自転車派だけどね。

あれこれ考えると、やはりロハスも悩ましいのである。