Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

山下奉文


大東亜戦争を描くのに、たとえば「聖将」と呼ばれた今村均を選ぶのは「爽やかであるが適当ではない」と著者は指摘する。むしろ「英雄」であって、それだけに末路が悲惨な山下奉文のほうが適当なのだ、と。
その着想は、前に「乃木希典」を描いたところで得たものであるらしい。

乃木の作戦能力は、はっきりと拙劣である。「人格的には素晴らしいが、多くの将兵を死なせた無能」という評価は、司馬遼太郎の影響もあって確立した乃木評価と言えるだろう。
では、山下はどうか?「マレーの虎」と呼ばれた山下は、いわば乃木の反対「人間的には問題があるが、作戦能力は優秀」と評されるのではないか。
しかし、著者は、そのような単純な「人物月旦」ではなく、それこそ明治と昭和の違いではないか、と指摘する。
明治は「武士道」が生きていた時代であった、しかし昭和の軍隊における優秀さとは「組織人」の域を出てはならなかった。その悲劇を山下に見る。つまり、山下は明治以後の「近代化した日本」が到着せざるを得なかった官僚制が生み出した英雄である、と言える。

著者は「英雄」と「スター」を対置して説く。戦後は英雄のない時代だ、たしかに美空ひばり石原裕次郎長嶋茂雄は「スター」だろう。しかし、彼らは世界史には残らない。誰がどう言おうと、山下は残るのである。

冒頭の大杉の描写から、著者は山下奉文の人物像をじっくりと追っていく。そこから浮かび上がるのは、たとえば「皇道派」として226事件に影響を与え、天皇と東条に避けられた、というような一面的な評伝ではない。
「組織」のなかで「人徳」があるということは、思想的な支柱があるわけではなく、いってみれば外界とは無縁の「話がわかる人」にならざるを得ない。それを機会主義といいえばそれまでだが、しかし近代化というテクノクラートが支配していく世界の中で、ほかにどうして「英雄」になり得るだろうか?
賭けてもいいが、もしも昭和に乃木がいても、彼は将軍になることすら出来ず、ただの無能で終わっただろう。
官僚機構の中で英雄になること自体が、昭和の悲劇であり、山下の悲劇であった。
それは、現在の平成の世の中にまで、なお続いている問題である。

評価は☆☆。評伝のなかに著者の思想の深みがある。好著である。

たとえば、フィリピンにおける民間人の虐殺事件においても、今の我々がそれを批判することは簡単である。しかし、当時の日本軍は、さんざん大陸で便衣隊によって被害を受け、あわや中隊ごと敗走の憂き目にあった隊も少なくなかった。
この恐怖が染みついた軍隊が「抗日分子の選別を3日で行って処刑」をしてしまう。現場の憲兵には、ずいぶん乱暴な話なのでサボタージュもかなりあったらしい。
ともあれ、現場には現場なり、その場面に遭遇した者なりの切迫性もあった。つまり、やらねばやられるという単純な理由である。
戦後の目からみれば不適当だった、あるいは不正義だったと言えるし、その批判は正当だと思う。だけど、「それは戦後だから」と言われりゃ、「そりゃそうだよね」で終わる話とも思えて仕方がないのである。

また、ちらりと、大西瀧次郎発案の特攻隊のことにも触れている。
もしも着任した「一大決戦」の場にあって、まともな航空機が30機しか無く、敵に対して生還期しがたい情勢であった場合であれば「特攻はきわめて合理的」な結論でしかない、ということを著者は指摘する。
「狂気」ではなく「合理」である、ということだ。その「合理」を生んだものこそ、「近代」に他ならない。
大西は「2000万人特攻」を主張したが、そのいきつくところは天皇に散華してもらうことだった。2000万人となれば、最後はそれしかしようがない。英米と戦うということは、そういうことである。
しかし、日本は結局、それをしないで負けて終わった。
今や、我々はアメリカに跪いて生きていると非難されるが、そうであれば「2000万人が特攻して戦うべきだった」と主張するべきであろうか。
養老孟司氏は「アメリカの論理は受け入れない、というのは簡単だが、もしもあの戦争をもう1回やれと言われたら、うーんと考えこまざるを得ない」と指摘した。

私も、まったく同じように考えている。