Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ルネサンスとは何であったのか

ルネサンスとは何であったのか」塩野七生

塩野女史といえばイタリアもの、と相場は決まっているのだが、私は彼女の小説が苦手である。
女流のアタマが切れる作家にときおり感じることなのだが、思考の様式が水平的というか、ジグソーパズルのようなのだ。
男性の作家の場合、複雑な物語を書く人は重層的な記述をする場合が多い。つまり「タテ線」が何層もあるが、それの相互は横から見ておくと見える。
ところが、女流の場合「ヨコ線」でくるから、逆に上から一望しておかないとわからない。
ニュアンスがわかっていただけるかどうか。女性原理って、たぶん仏画のマンダラみたいなもので、要素が並んでいるのだけど、絵解きは別なんだと思う。
非常に「男性的な小説」を書くという評価の著者だけど、私はそう思えない、ということである。

で、小説家は「自作の解説」などするものではないので、本書も当然そういうものではない。
塩野女史が考える「ルネサンス」像を語ったものである。
たいへん、面白く読むことができた。一つ一つの章が納得感をもっている。

しかし、である。やっぱり、全体はマンダラなのである。平面の象限に、それぞれ意味のある絵が描いてある。しかし、それぞれの象限をつなげて理解するには、見る者にそれなりの見識を要求する。。。

評価はできない。面白くないのではない。それどころか、読み出したら夢中になる。しかし、そこで立ち止まってしまう。

ふと思ったのは、日本に暮らす自分にとって、いささかも「ルネサンス的な」要素にこの国は乏しいからではあるまいか、と思い当たった。
ルネサンスという、教会の軛から逃れて「もっと知りたい」という市民の欲求が爆発した、それに似た歴史を日本は持たないのではないか。
明治維新も、戦後民主主義も、明らかに異なるものである。
そう考えると、実は日本のみならず、アジアにも、アフリカにも、そういう歴史がない。
してみると、ルネサンスとは「欧州そのもの」じゃないだろうか。
結局、欧州の文化(たとえば、民主主義も!)をよく理解できない私とルネサンスとの間は、どうにも埋めきれない溝があるように思えてならないのである。