Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

日の名残り


橘玲氏の「黄金の海外投資」に本書のことが取り上げられていた。それは、インターネットの登場によって凋落したプライベート・バンクの象徴であり、古き良き英国の没落に対する懐旧の念であった。
もっといえば、すでに金融の世界であらわになってきた主権国家という存在の夕暮れのはじまり、でもある。

本書の主人公スティーブンスは、英国のダーリントン・ハウスに長年仕える執事である。
しかし、かつての主人であるダーリントン卿は、ナチス協力者として失意のうちに死んだ。ダーリントン・ハウスはアメリカ人に使用人つきで売却されたのだ。
新しい主人は、謹厳実直なスティーブンスにジョークを飛ばして当惑する姿をみるのが好きである。
ある日、彼は休暇をもらい、自動車旅行に出かける。かつての女中頭に会うために。彼女から手紙が届いており、御主人とうまくいってないことから、お屋敷に復帰の意図があるのでは、と思ったためであった。
しかし、自動車旅行中のスティーブンス自身の独白から、実は彼が本当は彼女に惹かれていたこと、しかし執事として職務を遂行することにこだわるあまり一歩踏み出せなかったことが明らかになっていく。

評価は☆☆☆。心にしみいる名作であろう。
「失われていく、かつての良きもの」に対する懐旧の念は、実は時代の流れの前にはあまりにも儚く、無力であり、それ故に美しさを感じるのである。
我々は、それがどんなに素晴らしいものであっても、決して元に戻れないことを知っているからだ。

巻末、スティーブンスは海に落ちる夕日を見ながら涙を流す。
あまりに、人生は残酷であり、やり直すことはできない。別の人生があったかどうか、考えてみても、どうすることもできないのである。
それは、彼自身もそうだし、もっといえば彼自身が生きた時代がそうであった。良き意思をもった素人の時代は終わり、能率的な専門家の時代が訪れたのである。
それでも、彼は新しいアメリカ人の主人のために、ジョークを練習しようと決意する。
時代遅れのやり方しか、彼にできることはないのである。過ぎ去ったものは返らず、出来ることにしか幸福はない。

我々も、時代のなかに生きている。
日本の没落を目の前にしながら、かつての「三丁目の夕日」を懐かしんでいる。しかし、どのように懐かしがろうとも、時代は戻ってくるものではない。世界は変わったのである。
であれば、私たちも、下手なジョークを練習することしかない。そこにしか希望はないのである。