Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

マイナスのくじ

保険に対しては、よく「マイナスの宝くじ」という喩えが使われる。

普通の宝くじは、当たれば「幸運ですね」となる。もちろん、本人はホクホクである。はずれた人は数多いるわけだが、まあ、それはそれで仕方ない。

一方、生命保険はどうだろう?
「事故で亡くなっちゃった」だから保険金もらってホクホク、はないのである。で、はずれちゃった人は「自分に当たらなくて良かった」というわけだ。当たっちゃ困る。つまり「とても運の悪い人が当たり」というわけだ。故に「マイナスの宝くじ」という。

さて、巷間話題の「後期高齢者保険制度」はどうか?
私は、この問題を考えるのに、そもそも「保険制度」でいいのか?という視点が必要だと思う。

まずもって知っておきたいのは、かつて、日本人の寿命は短かった、ということである。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/19th/gaiyo.html

この「表2 完全生命表における平均余命の年次推移」を見てもらうと分かるのだが、いわゆる「ゼロ歳余命」=「平均寿命」である。
明治24-31の男では42.8歳である。「人間50年」半世紀を生きたなら、もう文句を言えなかった。還暦の赤いちゃんちゃんこに価値がある理由を察してもらえようと思う。
だから、40を過ぎれば「ぼつぼつ隠居も」なんて、アタマによぎったりするのである。
それが、戦後の昭和25-27で、一気に59.57歳になった。アメリカさんのペニシリンやらマイシンやらが入ってきて、日本人の宿痾と言われた結核の駆逐が始まった。
実は、このような先進国の医療技術移転に伴う平均寿命の伸びは、戦後の後進国に共通して見られることである。(途上国、という言い方は欺瞞があると思うので避けている)

年金制度自体の施行は、 大正12年に公務員等に対して始まった。つい最近までタイが、非常に優遇された公務員年金に批判が高まって問題になっているのだが、だいたい、こういうことは役人が先にもらうもののようである。やっぱりねえ(笑)。
その後、昭和17年 民間男子労働者に適用。言うまでもなく「総動員態勢」のためであった。昭和34年に自営業者等に適用され、現在の年金制度の原型がスタートする。
その当時の平均寿命は男子65.32歳。女子70.19歳である。
もっとも、平均余命は65歳時点で11年である。つまり、65歳まで生きた人は76歳まで生きると思えばよい。
もしも60歳から年金支給とすると、16年間の支給期間となる。
仮に、18歳から労働したとして、納付期間は60歳まで42年間。給付期間は16年。その比は1:2.6となる。

現在を見てみよう。
65歳平均余命は17.54年。納付期間は、当時よりも高学歴化がすすんでいるので、だいたい20歳を過ぎてから納付となろう。
20歳として、60歳まで40年とする。納付期間40年と給付期間17.54年。その比は1:2.28となる。
だいたい期間にして14%短縮となった。
であれば、給付金額を14%減らせば帳尻は合うのであるが、現実には世代間扶助であって少子化問題が大きいし、給付金額も発足当時よりも増えている。採算が合わない道理である。

こうしてみると、給付を60歳から65歳に変更したことで、ものすごく影響があることがわかる。
仮に、旧来と同じく60歳で支給開始とすると、納付期間40年に対して給付期間22.5年では比率1:1.7となる。当初に比べて53%変わるのだから、破綻直行である。

さてさて、寄り道をやめて、本道に戻るとしよう。

昔のように、平均寿命が65歳であれば、60歳に到達しても、せいぜい5年か10年の余命しかない。
「ご苦労様でした」と年金を支給しても、そこまで達する人が少ないのであるから、格別の問題は生じない。
あえていえば、その当時は長生き「しちゃった」という感覚だったろう。

言うまでもなく、死んでしまえば金はかからぬ、生きていれば金が必要なのが道理である。うっかり長生きしてしまったら、その分だけ金がかかる。
しかしながら、年老いてしまい、収入を得る道も閉ざされていれば、これは「マイナスの当たり」なのである。
だから賞金が出るわけである。保険は「マイナスの宝くじ」であるはずだから。

しかし、よくよく考えてみると、60歳に達するまでに死んでしまった人は、「払い損」である。この人には、「払い損だから返してくれ」と言ってもムリである。
自分の給付を受けるすべはないので、すると本当の「はずれくじ」を買ったのは、この早死してしまった人であることに間違いあるまい。

保険制度の問題点は、ここに根本がある。
つまり、早死した人が「はずれくじ」であるとすると、誰でも分かるが、今の平均寿命から考えると「当たって当然」となる。
あたりくじだらけの宝くじを売り出したら、それは発行した政府が立ちゆかなくなるだろう。「はずれくじ」を買う人が、少なすぎるから成り立たないだけのことである。

保険制度の本質が「宝くじ」であるなら、多くの「はずれくじ」を売らなければいけない。
普通のくじの場合は「当たったほうが嬉しい」クジを売る。
「マイナスの宝くじ」を売る場合は、はずれくじを買った人が「当たらなくてよかった」と思うくじを売る。
かつては「うっかり長生きしてしまった」は、明らかな「はずれ」であったと思う。だからこそ「保険制度」なのである。

現状のように、誰も彼もが当たりくじを引くときには、保険制度は成り立たない。少なくとも、それは「保険」ではなくて、なにか別の制度だろう。