Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

老いてゆくアジア

「老いてゆくアジア」大泉啓一郎。

最近、日本の高齢化の進展に伴って「アジア経済は伸びる。これからはアジアだ」などという調子で、安易なアジア経済共同体に関する議論が目につく。
おおかた、米国の凋落を穴埋めするEUの好調ぶりに「バスに乗り遅れるな」といった単純な発想で、中国をはじめとする新興工業国の成長に乗っかれ、といった論理である。(その程度の内容を、議論と呼ぶに値するかどうか)
そのような「アジア楽観論」を根底から覆す、瞠目の内容で、早くも再読しているが、本書の指摘する内容は深く、しかもかなり困ったことに、大変鋭いのである。

きっかけは、クルーグマンの論文「アジア経済成長の幻想」という論文である。この論文は、その後のアジアにおける金融危機を予言した書、ということになっているのだが、実は論文で「アジアで金融危機が起きるでしょう」などと書いてあったわけではないようである。
そうではなくて、平たく言えば経済成長とは「量」と「質」の両面があって、「質」はわかりやすく言えば「効率の向上による経済成長」のことである。
ところが、アジア経済の成長は、現実に投入資源の増大によってもたらされた、単純な「量」の成長だから、「量」が減れば成長は鈍化しますよ、という指摘をしたということらしい。
これは世界に衝撃を与えた。当時のNIESをはじめとするアジア経済の成長を、国連は「政府の市場介入の成功」という政策的なものだと評価していたから(つまり、各国政府が正しい政策をとれば、その国の経済は成長できるという分析)それに真っ向から反対する議論だったわけである。

さて、そのクルーグマン論文にいう「投入資源」とは何か。著者は、その回答を「人口ボーナス」である、と指摘してみせる。その該博なデータには、いささか驚くよりも他にない。
アジアにおいて「経済成長→人口増加」だと我々は考えがちだが、実際には「人口増加→経済成長」だったのではないか、鶏とタマゴは逆ではないのか?という指摘である。

人口ボーナスとは、人口が増加していく途上で起こる現象である。
人口を、いわゆる生産人口と、子供や老人のような非生産人口に分けた場合に、人口が増えていく最初の段階では、子供が多いから貧しい(戦後日本)。
しかし、その子供達が成長し、労働力になってくると、全人口に占める生産人口の比率は高まり、経済力が増す。(東京五輪後の団塊世代社会進出)。
その後、しばらく経済成長が続くが、人口のボーナス世代の子供の年齢が上がって、生産人口になる手前になると、人口ボーナスにブレーキがかかる(90年代後半)。
以降、一時的に回復するが、人口ボーナス世代が高齢化すると、今度は老人福祉関連の費用負担が増し、人口ボーナスは終焉となる(現在)。

そして、このような人口ボーナスは、日本だけでなく、韓国や中国、シンガポールなどにも共通して言えることだと著者は指摘する。
中国は「一人っ子政策」が有名であるが、いったん人口増加を始めた中国で「一人っ子政策」をとることは、社会全体で子供の養育費を減らし、生産人口を増やすことに効果がある。文化大革命によって人口ボーナスの端緒を逃がした中国だが、その後の改革開放経済において「人口ボーナス」を取り込むことに成功した。
しかし、問題はこの後である。当たり前だが、このまま人口構造が推移すれば、強烈な「高齢化」が待っている。日本よりも平均寿命が短いから、急に影響は来ない計算だが、今の状況だと、中国人の平均寿命も延びるに違いない。計算上では、中国の人口ボーナスの喪失は2015年から始まる。

著者は言う。アジアにおける高齢化は、実は各国共通の課題である、この分野で「地域介護」の先鞭をつけた日本が、各国にノウハウを提供すべきだと。
しかしながら、現実に、日本の介護制度だって、ご存じのとおり政権党が維持できないほどの不満をぶつけられている。このような制度をアジアに教えたところで、後で文句を言われるだけの結果に終わるように思われてならない。

評価は☆☆☆。
人口動態は、各種経済指標の中で、唯一、予測が高い精度で的中する分野である。そのほかの「経済予測」は、八卦見と大して違わないレベルなのである。
それだけに、本書における著者の指摘は一つ一つ、重い。

著者の辛辣な指摘を書き留めておきたい。
「日本のような先進国は、新興工業国の資金を受け入れることで、老人介護に対応しようと言う意見が強い。一方、その新興工業国は、相変わらず先進国からの資金支援を大きく期待するという面が強い。お互いが、互いの資金をあてにしている」
アジア経済共同体なんて、まるで花見酒のような経済構想じゃないかと思うのである。