Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

思考実験

物理学の分野では、よく「思考実験」が使われる。アインシュタインのEPR実験などが有名だ。
アインシュタインは、この思考実験の名手で、かの相対性理論を「光速で落下するエレベーターの一方の壁に取り付けられたランプの光は、もう一方の壁に当たるか?」を考えたのが発端だと言われている。「光は、空間を直進する」ことはよく知られている。そこで、光速で落下するエレベーターの中で、ランプを光らせる。
もしもエレベーターが停止していたら、光は直進して、反対側の壁が照らされる。光速で落下するエレベーターの場合はどうか?この場合、やっぱり同じように「壁の反対側が照らされる」か、あるいは「光速で落下しているのだから、光は斜め45度に上昇し、天井方向を照らす」か?
回答は、言うまでもないが「壁の反対側を照らす」となる。高速で走る新幹線の中でボールを投げたら、たちまち後ろに飛んでいった、なんてことはない。
ここで、もしもエレベーターが「透明」で、外から「壁の一方から反対側へ飛ぶ光」を観察できたら、それは「光が斜め45度上に」飛んでいるように見えてしまう。このことから、アインシュタインは「光は必ず直進するのだから、斜め45度に光が飛んでいるのは、空間が曲がっているのだ」と気づく。そして、直線距離と斜め45度では長さが違うのに、壁から壁に光が飛ぶ速度が変わらないとしたら?ということから「光速度不変」であれば「時間の長さが伸び縮み」していると考えるほかない、というアイディアを得るわけだ。

「論理の示すところ、いかにそれが奇想天外でも、真実だと信じるほかないのです」(シャーロック・ホームズ)を思い出すなあ。

このような思考実験テクニックは、他にも応用できる。
たとえば、憲法改正論議など。

このように考えてみよう。
以下に、憲法改正案を提示する。条文は96条。憲法改正についてである。

・現行96条(1)「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする」

・改正96条案「この憲法の改正は、できないものとする」

簡単明快ですなあ。

さて。そうすると、である。この改正案に対して、改憲派護憲派はそれぞれどのように考えるか・これが今回の思考実験である。

改憲派は、「現状の憲法の内容は、不適切である」と考えているのであるから、この改正案には反対だろう。この案を支持してしまうと、他の条文が改正できなくなる。(ひとによっては改悪と呼ぶ。平等性のために追記する)

護憲派はどうであろう?「現状の憲法は、とても素晴らしい内容なので、改悪してはならない」ということであれば、この改正案には反対しなければいけない。。。ちょっと待てよ?しかし、条文の内容自体は「素晴らしい憲法を、長く未来にわたって改悪できないように」定めるものである。じゃあ、反対する理由がないような気がする。

ここで、対応は大きく3つが考えられるであろう。

1.本改正案に賛成する。

2.現憲法の改悪の必要がないのは、あくまで現情勢で言えることであり、未来のことは不可知であるのが当然である。よって、96条を改悪する必要がないから反対。

3.たとえ、いかなる条文といえども、憲法を「変える」こと自体が悪であるから、この改悪案にも反対する。

それぞれの立場について概説してみる。

まず1説を採る場合だが、この人を純粋な護憲主義者と呼ぶのは、少なくとも論理的に誤りである。彼もしくは彼女は、限定的に(好ましいと思う内容については)改憲することに賛成する。

つづいて2説を採る場合であるが、この人は「暫定的護憲主義者」と呼ぶべきである。すなわち、将来にわたる憲法改正の可能性に関しては、認めているからである。

最期に3説を採る場合である。この人を、形式的護憲主義者と呼ぶことにする。すなわち、改正案の条文の内容自体は、彼もしくは彼女の主張とまったく一致するにも関わらず、憲法改悪という手続き自体を忌避すべきと考えているのであるから形式的とよぶ。

さて。いかがだろうか。

形式的護憲主義者の場合は、そもそも議論自体が成立しないことは言うまでもない。彼らが批判するであろう「高天原神話を今だに信じている人」と、実は論理的に全く同レベルであることが証明される(苦笑)

日本における護憲派の不幸って、たぶん3説を採る人が多いことかもしれんなあ、、、こりゃあかんだろーなー、などと、場違いな感興に浸る私でありました。

我ながらくだらんなあ。反省。。。