Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

砂場

リバタリアニズムの論者がよく取り上げる話に、砂場の喩えがあります。
それを、ちょいと私なりにアレンジして、暇な茶飲み話をしてみましょう。

子供二人が遊んでおりました。
一人の子供は、たくさんのおもちゃをもって、楽しく遊んでいます。
もう一人の子供は、何も持っていません。その子供も、おもちゃが欲しいのですね。

そこで、持たない子供は「僕にも、おもちゃを分けて欲しい」と言いました。
しかし、たくさん持っている子供は、しらんふりをしています。
そこで、持たない子供は、たくさん持っている子供のおもちゃを取ろうとしました。
すると、持っている子供が言いました。「きみ、人のものを勝手に取るのは泥棒だよ」
持たない子供がいいました。「だって、きみが分けてくれないからじゃないか」
たくさん持っている子供は「ぼくは、たくさんおもちゃがあったほうが楽しいんだよ」と言います。
争っていると、そこに3人目の子供が来ていいました。
「みんな、同じ砂場で遊んでいるのに、争うのはよくないよ。よそうじゃないか」
二人の子供は、うなずきました。
3人目の子供は言いました。
「それなら、ここはひとつ、僕に任せてくれないかな」
二人の子供は「まあ、それはいいけど。。。」としぶしぶ。二人で言い争っていても仕方がないと思ったからでした。
そこで、3人目の子供は、まず、たくさんおもちゃを持っている子供から、半分のおもちゃを取り上げました。「たくさんあるんだから、このくらいは我慢しようよ」
そして、そのおもちゃを、ちょっぴり、持たない子供にあげました。
「ほら、君は持たないのだから、ちょっとでも貰えてよかったろう?」
気がつくと、あとから来た3人目の子供は、たくさん持っていた子供からおもちゃを取りあげて、彼もまた楽しくおもちゃをもって遊んでいるのでした。
3人目の子供は言いました。「どうだい?これで、僕がいるおかげで、この砂場はうまくいったじゃないか。感謝してもらってもいいくらいだ」

しかし、実際は、たくさんおもちゃを持っていた子供のおもちゃが半分に減って、持たなかった子供は、やっぱり一番少ないおもちゃしか持たず、3人目の子供は後から来たのに、かなりのおもちゃを持っているのです。

たくさん持っていた子供は、「やっぱり、3人目の子供も、泥棒と同じじゃないか」と思っています。
持っていなかった子供は「3人目の子供がきても、何も状況はよくならないじゃないか」と思っています。
3人目の子供は「自分のおかげで、この砂場は最初のときよりも、より平等に近づいたのだから、自分は彼らにとって重要であって、このぐらいのおもちゃを自分がもらうのは当たり前だ」と考えています。

つまり、満足しているのは、実は3人目の子供だけなのでありました。

つまらない砂場の出来事であります。