Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

シブミ

「シブミ」トレヴェニアン。

この作家は、いわゆる覆面作家である。トレヴェニアンはペンネームで、本人の正体は既に分かっているのだ。(既に物故)その作家の、いわゆるスパイ小説であるが、ハードボイルド的な香りもある。この作家の最高傑作として、本書は、実に孤高の輝きを保つ。

主人公のヘルは、母親が戦前の魔都上海の女傑で放埒かつ自由な生活をしており、彼女がある日「子供を産みたい」と願って、貴族を相手にタネをもうけて生んだ子供である。もちろん、用済みの男は、さっさと放り出した(笑)
この女傑は、上海を占領した日本軍のサムライの末裔、岸川将軍と懇意になり、ヘルは岸川将軍から日本の心「シブミ」を教わる。この日本の心が、彼の生涯を支配する。
やがて戦争。ヘルは、日本に疎開し、そこで囲碁の名人、大竹さんの弟子として過ごす。囲碁の抽象的な思考能力を手に入れると同時に、日本の暗殺術「裸-殺」を手に入れる。(この技が、何を指すのか、理解に苦しむが、おそらく、身の回りのものを利用した暗殺術の類)
やがて終戦
ヘルは、GHQで働き始めるが、そこでソ連にとらわれた岸川将軍が東京裁判で処刑されるために送られてくる。岸川将軍と再会した彼は、辱めを受けて殺される将軍の願いを容れて、将軍を暗殺する。二人の最期の思い出は、金沢での花見であった。

ヘルはその後、自由な暗殺者として生涯を過ごし、ケイヴィング(洞窟探検)をしながら引退してバスク地方に日本家屋を建てて住む。そこに、若い女が転がり込んでくる。ミュンヘン事件の復讐を企てるグループがテロを計画し、逆に暗殺され、彼女だけが逃れてきたのである。主人公ヘルは、彼女の叔父に借りがあった。まったく気が進まないながら、借りを返さなければいけないので、彼女を保護しようとする主人公。ところが、彼女は殺される。
主人公の大事な友人も殺される。主人公ヘルは、ついに復讐のために動く。。。

前後版に分かれた長大な作品だが、読んでいる最中に、いささかの弛緩もない。最期まで、一気に読み切ることができる。間違いなく、名作にして大傑作である。
心を打つ情景の描写、豊かな登場人物の造型、流れるストーリィ。完璧な小説。

評価は☆☆☆。これを読まずに死んだら損をする。最上の作品のひとつだと思う。

本作品は、長らく絶版であった。復刊を喜ぶとともに、なぜ、絶版のまま長い間放っておかれたのか、ちょっと下司の勘ぐりをさせてもらうと。

理由は、特に本書の上巻にある。大東亜戦争は、日本の精神文化がアメリカに挑んだ不可避の戦いであり、アメリカの排日法はドイツ系イタリア系に適用されず日系だけが対象となったのは人種差別であり、原爆は人体実験であり、東京裁判は単なる復讐劇の茶番であり、アメリカ人は物質主義に侵された馬鹿者どもだ、と書いてあるからだ。
そして、東京裁判という恥辱の裁判を、なぜか日本人がさっさと受け入れてしまい、世界に屹立した精神文化そのものを失ってしまった、とはっきり書いてあるからだ。
だから、なかなか再版できず、作者は覆面でなければならなかったのだ、それが私の下司の勘ぐりである。
ちなみに、作者は日本での生活経験があるアメリカ人である。

とにかく、読んでもらいたい。思想的なことは、ひとまず措こう。それでも、読んで損はない。

本作を再度刊行したハヤカワ文庫に敬意を表したい。