Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

民度の差

ほぼ「予定通り」な竹島をめぐる韓国側の反応を見ながら、思ったことであるが。
これは「民度の差」というものじゃないか、と。

領土は、国の基本なので、そりゃあ領土紛争となれば、どの国だってナショナリズムが高揚する。そうじゃなきゃ、おかしいぐらいのもんである。
不幸なことに、竹島の場合、日本への領土編入時期が第一次日韓協約に近いせいで「日本の植民地支配が始まった時期の象徴」になってしまっておるんですな(苦笑)。なので、韓国人にとっては「死んでも渡さん!」いわば宗教的な聖地になってしまっているんで、余計に話がこじれてしまう。
ましてや「竹島の領土編入自体、手続きは当時の国際法上合法だった」なんて話につながると「じゃあ、日本の日韓併合、植民地支配も合法だというのか?!」「ま、早い話が、その通りとしか。。。」なので(笑)さらにエキサイト、するしかないわけである。

で、ご存じの通り、日本はこの問題を「国際司法裁判所に提訴」というスタンスである。
韓国は拒否しているが、表向きは「韓国の領土を韓国が実効支配しているのだから、裁判所に持ち込むべき問題が存在しない」となっている。この論理は、日本の尖閣と同じでして、ま、当然といえば当然なのである(北方領土は、領土問題が存在すると日露両国が認めている)

しかし、韓国の本音は「たとえわずかでも、韓国が負ける可能性がある裁判はできない」である。

これ、逆はどうだろう?「日本は、裁判に絶対負けない」とは、言い切れない。日本有利だとは思うが、裁判なんて、正直「最後は、やってみなけりゃわからない」である。日本人にとって不条理な理屈でも、裁判は裁判。東京裁判が好例だろうと思う。

私は、日本が「国際司法裁判所で」と云う根底には「もしも万が一、提訴で敗れた場合でも、その結果を潔く受け止める」覚悟があると見ている。

こういうと
「負けを認めるつもりか?」と怒られるかもしれませんな(苦笑)しかし、私は、それこそが「民度」だと思うのである。

そもそも、民主主義の世の中だからといって、全員が満足する結果なんてあり得ない。常に、いつだって不満はある。しかし、たとえ不満であっても、しかるべく法的な判断が下ったならば、粛々とそれに従う。そういう態度がなければ、民主主義は機能しない。それこそ「民度」だと思う。

思えば、かつて大東亜戦争での敗戦がそうである。勝手に裁判されてボロクソに云われ、空襲されて国中が焼け野原、ずいぶん腹も立ったろうと思うが、天皇陛下の命令で矛を収め、とにもかくにも経済再建へ向けて、黙々と努力した。その甲斐あって、昔日を超える経済大国として復活したではないか。

今のイラクやアフガンを見て思う。戦争の勝敗という意味では、既に決着はついたはずだが、負けた側は不満がある。だから、いつまでもゲリラ戦だの自爆テロだのを行う。結果、国はますます崩壊するばかりだ。反米主義者は、そういう光景を拍手喝采で見ているのかもしれないが、もしも彼らがかつての我が国のごとく、不満はあっても結果を潔く認めて、黙々と国家再興へ向けて努力したならば、現在の光景はずいぶんと違ったものになっているのではないか。

不満があるから受け入れない、いつまでも戦うでは、世は荒れるばかりである。皺よせは、必ず女や子供、年寄りといった弱者にいくのだぞ。

争いごとは、勝つよりも、うまく負けるほうが難しいものだ。勝つよりも、負ける方が遙かに覚悟がいるものだ。その覚悟を、私は「民度」だと思うのだ。

韓国の国民も、民度が上がれば、いつか「万が一負けた場合でも受け入れる」だけの度量が育つだろう。そうしたら、韓国は大国家となる。

ま、とうぶん(あと100年は)なりそうな雰囲気もないけどね(苦笑)仕方がないか。。。