Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

アナーキズム


同著者の「ナショナリズム」があまりに面白かったので、こちらも購入。やっぱり面白い。

アナーキズム無政府主義アナキズム、とも表記)」は、私には、いまやもっとも現実の庶民に密着した思想のように思える。

著者は、まず有名な大杉栄からはじめ、農本ファシズム権藤成卿、元祖ひきこもり(笑)の埴谷雄高、資本主義を肯定するという知識人にあるまじき(苦笑)英断をしちゃった吉本明、アニメ「キャプテンハーロック」でピカレスクを描いた松本零士連合赤軍事件で新左翼から転向しアナルコ・キャピタリズムの極地まで到達した笠井潔などを取り上げる。
まさに「アナキズム」のカタログ、といえるだろう。

本書の中で「どうして、保守派と無政府主義者は近い立場をとるのか?」という疑問点について、考察がある。
面白いので要約を紹介すると。
たんに「敵の敵は味方」つまり反マルクス主義、というだけではない。
そこには「しょせん、権力は権力だ」「権力は、いかなる場合であれ、堕落するし、正しい権力などない」とする現実的なモノの見方がある。
ただ、そこからのスタンスが違う。アナキズムは「だから、権力をなくしてしまえば、理想の世の中が訪れる」とする。
保守主義者は、権力がなくなった場合の世の中(自然状態)については批判的であり「そうはいっても、或る程度の権力が必要にならざるを得ない」と考える。
つまり、双方とも、権力のマイナスの効用に関しては鋭敏なのである。この点で「終局には、人類において国家は滅亡する」といいつつ「その過程の中で、労働者の権力が必要だ」という「正義の権力」を主張するマルクス主義には「矛盾」だとして反対することになる。
保守主義アナキズムは、権力を「悪」だと捉えているが、保守派は「必要悪」だとし、アナキズムは妥協しないだけだと言えるのである。つまり、そのあたりは「程度の問題」なので、両者には奇妙なことに、歩み寄る余地がある。日の丸と黒旗は、意外に仲がよいという結末になる。

また、アナキズム的な充足感を得られる状態が、戦場でしかあり得ないようなものであることを指摘し、アナキストは、そのために、みな戦場をかけまわるかテロルを指向するのではないか、という。たいへん面白い解釈である。

評価は☆☆☆。本書の濃密な情報量は、ブログで紹介できる範疇を超えている。ご興味の或る方は、是非一読をオススメしたい。

著者は、戦後の日本社会が急速にアナキズムに近づいていることを指摘している。
かつて、江戸時代から戦前まで続いた封建主義体制が生んだ「世間の目による相互監視」機能は、急速に衰えた。また、戦後民主主義が「個」を強調する教育姿勢をとったことがあり、共同体に対する帰属意識は急速に薄れた。
「自己の快楽こそ最優先」というのは、かつては勇気ある発言であったが、今やごく当然の価値観としか受け止められない。
ところで、アナキズム自体には、精密な論理はなく、その根底にあるのは「生の充足感」のような感覚である。
しかし、昨今、より自由になったはずの我々には、アナキズムがかつて理想とした生の充足感があるだろうか?

かつて小泉元首相は「非情の宰相」と呼ばれた。その「非情」に、実は現代のアナキズムのニオイをかぎ取った大衆が、これを支持にまわったのではないか、と思うのである。
アナキズムファシズムは、実は近しい関係にある。マスコミは、小泉ファシズムとして批判したが、私は勘違いで、本当はアナキズムだったのじゃないかと思う。そう考えると、小泉政権下の政策判断がよく理解できるのである。

アナキズムによる政権、なんてものがあり得てしまうのは、今の日本の権力がよほど悪いからに他ならない。
いろいろなことを考えてしまう1冊である。