Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

椿山課長の7日間

「椿山課長の7日間」浅田次郎

ドラマは見ないので、原作を読むだけである。以前から言っているように、私は映像系には興味がない。情報量が多すぎて、すぐ疲れてしまうのである。
本を読むのは、そのほうが楽だからだ。こっちのスピードでいいんだからね。

椿山課長はデパートの婦人服売り場で激務の日々を送っている。盆も正月も返上して働いているのだ。家族からも呆れられている。そして、とうとう激務がたたり、脳溢血を起こし、あわれ過労死してしまう。
椿山課長は、気がつくとあの世にいる。あの世の世界もすっかり官僚化しており、免許センターのようにぞろぞろ行列をつくって講習を受け、机上の「反省ボタン」を押せば極楽に行けるというシステムになっている。しかし、椿山課長はこれに納得がいかない。「真面目に仕事一筋に働き続けた俺になんの罪があるのか」と問うと、その罪は「姦淫の罪」であった。
確かに、長く付き合った女性はいたが、彼女とはお互い了解済の「大人の関係」だったわけだし、自分の結婚をきっかけにキチンと清算した。戦前ならいざ知らず、今時ありがちの、ごく普通の話じゃないか。それどころか、その後は不倫もしてないのだから、ゴールド免許をもらったっていいはずだ。だいたい、家族も仕事も、やり残したことがたくさんあるんだ。。。
こうして、椿山課長は、あの世の掟に従い、初七日の間だけ、他人の身体をもって蘇ることになった。とはいっても、7日のうち、気を失っていた日時を差し引くと3日間である。
こうして、椿山課長は、39歳の独身美女として3日間だけ、やり残したことを処理し、自分の罪を確かめるために復活することになる。。。

死後再生譚といえば「リプレイ」(グリムウッド)にとどめを刺すわけだが、最近はこのネタが流行っているようで「4日間の奇跡」(朝倉卓也)とか本作とか。

評価は☆。よくできたストーリーで、さすがに浅田次郎というべきか。

ただ、小説として考えると、やっぱり再生譚というのは、掟破りなテクニックじゃないかと思う。ちょっとずるい、というか。
どうして「再生譚」が感動をよぶのか、といえば、結局人間は生きている、死後の世界はリアルには描けないということである。
昔から「棺覆いて名定まる」というわけで、人生の価値なんて、死を待たなければよく分からんということである。それ故に、死を考えることは宗教でもある。死のない宗教は、宗教でありませぬ。人間の人生の本質を考えるきっかけにならんから。
保証してもよいが、デートのクリスマスと結婚式のときだけキリスト教式になる日本人は、キリスト教徒の考える人生の価値とはもっとも遠いところにいるだろう。
死のないこれらの宗教儀式を、かの呉智英は「葬式仏教というが、それならキリスト教はオ○ンコ宗教じゃないか」と喝破した。「死を考えない宗教なんてあるもんか」

人は生きているので、死後の世界はわからないが、困ったことに「生きている」本人は、生きることに一生懸命であるから(なにしろ、命がなくなれば文字通り終わりですので)自分の人生を客観視できない。つまり、罪も善行も、その価値はよく分からない。
しかし、いったん死んだことにしてしまえば、いわば自分の人生を第三者として評価できるので、そこで隠れた価値がクローズアップされる、という仕組みである。

この作品では、蘇った死者は生前の自分とはもっとも遠い姿で、かつ自分の正体をばれないように振る舞わなければいけない、というルールが科せられる。これは主人公自身の人生を客観視させるための周到な仕掛けであるわけだ。
そういう装置が、よく考えられている。著者はきちんと計算して書いているのである。そこが私に言わせると、まあ、ちょっとずるいぞ、と思うんですな(笑)
人の一番弱いところを狙う、戦略としてはとても正しいけれどもね。

正統派の小説、というにはちょっと、、、と思うところがあるので☆1つ。ううん、やっぱり映像作品の原作とするのが正解なんでしょう。