Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

タッポーチョ

「タッポーチョ」ドン・ジョーンズ。副題は「敵ながら天晴れ 大場隊の勇戦512日」。

著者のドン・ジョーンズが、懐かしい日本の「大場元大尉」を自宅に訪ねるところから物語は始まる。彼は、大場に、軍刀を返すためにやってきた。そうして言う。「あなたの戦いを、本にすることを許可して欲しいのだ」大場元大尉は「いまさら」と思う。大東亜戦争の物語など、石橋湛山の言葉を借りれば「汚辱にまみれた戦争」だとされており、そんなものを平和な世の中に問うても意味がないのではないか。
しかし、ジョーンズ氏は、一晩考えてくれ、と言う。
翌日、ジョーンズ氏と大場氏は再び会う。かつて「敵」として対峙していた二人の間に、えもいわれぬ感慨があり、二人は戦場での思い出話をする。そして、大場元大尉は言う。「本にしてくれてよい」

昭和19年7月7日。サイパン島における守備隊の「玉砕」の日であった。指揮官の斎藤陸軍中将、南雲海軍中将は自決。3000人の兵士はバンザイ突撃を敢行して全滅した。。。

この戦闘に参加していた大場大尉は、無我夢中で突撃を繰り返す間に、なんと敵陣の後ろまできてしまったことに気づく。慌てて後ろを向くが、すでに米軍は進撃しており、敗軍の日本兵が追撃するというおかしな状況になった。そうするうちに、あちこちで残余の兵が従ってくる。その数、およそ300人であった。
大場大尉は、この300人をもって山岳ジャングルに隠れ、いつか来ると信じているサイパン奪還戦まで持久することとする。
そのうち、現地住民が多数、保護を求めてくる。これらの住民もまとめて、大場大尉はタコ山と呼ばれる山内にキャンプ地をつくり、作物を栽培し、軍に残された食料や敵の食料を奪取しながら、ゲリラ戦を戦いつづける。

島内に、いまだ残存兵力がいることを察知した米軍は、何度も掃討作戦を繰り返す。しかし、大場大尉は、その都度冷戦沈着な指揮で、住民と兵士を退避させてしまう。
業を煮やした米軍は、ついにタコ山を1メートル間隔の兵士で取り囲み、飛行機で探索しつつ、しらみつぶしの大掃討作戦を行うのである。
絶体絶命の危機に陥った大場大尉だが、そこで堀内というヤクザあがりの兵が軽機関銃1丁で側面突撃を行い、見事に陽動に成功、大場隊を救った。堀内は、全身にクリカラモンモンを背負った男であり、玉砕戦以降、誰の命令も受け付けなくなった男であった。そして「米兵100人斬り」を公言し、機関銃1丁でたびたび「個人戦闘」を行っていたのである。「54」まで数えながら、全身蜂の巣になって堀内は死んだ。死んだとき堀内は、ぶらぶらになった左手のかわりに蔓を身体に巻き、その蔓で機関銃を支えながら右手で引き金を引き、引き金を引いた指の形のままで絶命した。大場大尉は、物陰から堀内のぼろぼろになった入れ墨の身体を米軍がこづき回しているのを見て、怒りに燃える。

そうして、ある日、ついに「日本降伏す」のビラがまかれる。投降勧告をする米軍に対して、大場大尉は「上官の命令なくば山を出ない」と回答。
大本営からの打電を受け取り、大場隊はついに山を下りる。その数47人。全員、隊列を組み、死んだ仲間の慰霊祭を行い、銃をもちながら「歩兵の本領」を大声で歌いつつ下山。時は昭和20年12月1日。
サイパン玉砕後512日、大場隊は終戦を超えて戦ったのである。

大場大尉は思う。「日本は負けた。しかし、自分は降伏したのだろうか?戦争中ならば降伏だが、戦争は終わった、自分は降伏していない」だから武装したまま山を下りた。
米軍司令官の前で軍刀を抜きはなった大尉だが、その軍刀を顔の横に立て、軍隊式の挨拶を行った。
海兵隊は、大場隊を「とんでもない連中」だとして飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ。彼らはヒーロー扱いとなったのである。。。

評価は☆☆。無類におもしろい。版元が祥伝社であるため、現在は絶版である。

最後に、この時の大場隊を歓迎した海兵隊下士官にして、本書の著者であるドン・ジョーンズ氏のあとがきを紹介しておく。

「多くの人たち(昭和20年以降生れの日本人)の間に、戦争のことを言うのに恥じる感覚があるということでした。そして、その恥の感覚は、事実に基づいたものではなく、知識の欠如に基づいたものでした。この人たちは、自分たちの父や祖父や叔父たちが、自分たちの国を守るために戦った精神について、何も知りませんでした。もっと驚いたことは、その人がしたことになんの尊敬の念も払っていないことです。私は、このことをとても残念に思います。日本の兵隊は、よく戦ったのです。彼らは、世界の戦士たちの中でも、最も優れた戦士たちでした。彼らは、自分たちの国のために生命を捨てることを恐れませんでした。私は、そのことを、こういう兵士たちと三年戦いましたから、よく知っています」
「事実によって、現在の知識の真空状態は埋められることになるでしょう。また、先述の恥じる感覚は誇りに変わるでしょう」

かつて、小野田寛郎元少尉はこう言った。「日本は負けた。しかし、私は負けていない」

戦場では、ただ戦場に行かざるを得なくなった人がいるだけである。その中で、人は殺し合う。それを国家の横暴なり、愚行なりと反省することは簡単だ。しかし、そんなことは、実は大したことではない。
大事なのは、「私」がどう振る舞ったか、それだけである。国と言うが、「国さん」という人はいない。いるとすれば、天皇陛下だけである。私たちは、当たり前ながら、天皇陛下ではない。
国というが、国は、そもそも私たち一人一人の中にしかない。それが民主主義というものの本質である。
それは、戦争のさなかであっても、まったく変わりはないのだ。

私がどうしたか。あるいは、彼がどうしたか。「俺は誰の命令も受けない、俺一人で戦争をする」と言ってのけたヤクザの堀内が、いかに戦い、いかに死んだか。
そういうことの積み重ねしか、真実は存在しない。
人生には、「解説」はいらないのである。