Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

陸軍中野学校の真実

陸軍中野学校の真実」斎藤充功
副題は「諜報員たちの戦後」である。

諜報員の養成学校として有名な陸軍中野学校だが、その設置期間はわずか7年でしかない。
終戦と共に、すべて書類は焼却されてしまったし、そもそも中野学校は教材すら全部回収していた。
つまり、厳格な情報管理のために、戦後になって色々な風説が流布されたものの、その真実は依然として不明な点が多いのである。
著者は、その中野学校の数少ない生き残りに、執拗に取材を行う。

中野学校には「中野は語らず」という校訓があり、大事なことは一切他言しない。その教えを、今でも墨守している人が多く、高齢化している卒業生は秘密をみな墓の中へ持っていてしまう。
では、必死に著者が探ろうとした秘密とは何か。
限られた人物のインタビューから分かってきたことは、なんと「中野学校の卒業生は、戦後も活動していたのではないか」「GHQにも浸透していた」という推測である。

もちろん、彼らが自分の活動について、つまびらかに語るケースはほとんどない。
たまにインタビューに応じてくれた人も、肝心の話になると「いやあ。。。」と口を濁してしまう。
当然、次のような疑問が生まれる。「中野学校の卒業生と言っても、大した活動は行っていなかったのではないか」
ところが、ごくわずかに、得られた証言と、少ない資料は、むしろ遙かに取材側の予想を超えるものだと言わざるを得ないものであった。
英語がまるでできない、という前提でGHQに雇われた卒業生は、大声で交わされる会話をみな盗み聞きし、重要書類を抜き取っては見ていた。(英語ができないふりをしていただけ)
では、彼は誰に、何を報告していたのか?

終戦前に、白川宮(戦後廃された)を落ち延びさせようと画策したことも明らかになる。
中野学校は、松代大本営疎開した皇族が全滅という事態を想定していたのである。。。

評価は☆。「中野学校」について、若干でも事前知識がないと、ちょっと読んでも意味がわからない箇所が多い。
しかしながら、著者の取材力には感嘆してしまう。その一方で、あくまで機密を秘匿しつづける卒業生にも驚くほかない。
結論を書いてしまうと、本書によっても、戦後の中野学校卒業生の活動の全体像が分かるわけではまったくない、のである。それは、著者の努力不足ではない。相手が悪すぎたのである。
老いたりとはいえ、諜報のプロには違いなかったのだ。

ところで、戦後の日本は、諜報組織は非常に脆弱である。わずかに、内閣調査室において、中共の核実験成功(それもウラン型であると掴んでいた)を米国に先駆けて探知した功績が目立つくらいだ。
実は、これも中野学校の卒業生によるらしい。

外交の本質に、ゲームとしての要素を含むことは事実だろう。そのときに、相手の手の内を知るか、知らないか、それによって大きな差が出る。
戦前の例でも、たとえばリットン報告における英国の真意を日本が探知していたならば、また別の解決策があったかもしれない。
日本の外務省の無能を非難する識者は多いが、しかしながら、そもそも諜報機関を持たずに外交に臨まねばならぬ不利は、公平に認めなければならぬのではないかと思う。

また、これは別の話だが、戦略偵察機能を持たない自衛隊が、いざ有事になると米軍の麾下に入らざるを得ないのは、言うまでもない。相手が、どの方面に意図があるかを知らないでは、現代戦を行うべくもない。自前の戦略偵察ができなくては、永遠に米国の下請けをすることになる。仮に中共に覇権が移ったら、今度は中共の下請けをせざるを得ないのが実情だろう。もちろん、自衛隊は有事には懸命に奮闘するだろうと思うが、そういう精神論では何事も解決しないという教訓を、我々日本国民は持っている。
そういう意味では、核武装などよりも、まずは諜報なり戦略偵察なりの機能を備えることが前提ではないか、と思う。
もちろん、これは「脱下請け」を企図した場合であるけれども。。。

当然だが、謀略国家になれ、というつもりはない。再び、国を誤るのは、まっぴらごめんである(苦笑)。けれども、普通に考えて、やっぱり相手が表に出したくない情報を知った上で交渉する有利は、捨てがたいものがあるように思われる。
外交というのは、いざ失敗した場合のマイナスが、ひどく大きいように思うのである。
多少のコストは平素からかけておいても良いのではないかと思う。我々の家庭だって、ふだんは大して使いもしない電話を置いていたりするだろう。
情報の価値というのは、そういうものじゃないか、と思うのだが。

まあ、ご存じのように国庫は貧窮、とてもそんな余裕はないよ、というのが事実かもしれませんなあ。。。ううむ。。。