Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

日本の歴史をよみなおす(全)

「日本の歴史をよみなおす」(全)網野善彦

いわゆる「網野史学」の代表的一冊。この人の登場は、まさに彗星でした。すっかりやられた(笑)人も多いと思います。ええ、私もその一人でした(苦笑)

網野史学の特徴を一言でいえば、穢多や非人といった被差別階級に対する扱いを軸にしながら、実は彼らがある種のネットワークを持つ職能集団であることを明らかにして、いわゆる農本主義の政府とは別の系統をもっていた「豊かな」人々であった、という主張にありました。
その典型が、いわゆる「百姓」という言葉に対する認識の問題です。

私たちは、「百姓」といえば「お百姓さん」=「農民」としかアタマになくなっています。しかし、これは農本主義による権力=幕府の刷り込みによるものである、実際は「百姓」は「農民ではない」ということです。
ちょっと漢籍を読んだ人ならば理解できると思いますが、そもそも「百姓」は「ヒャクショウ」ではなくて「ヒャクセイ」と読むはずで、その意味は「士大夫以外の普通の人々」ということになります。もっと簡単にいえば「納税者」でありますな。(網野先生はそうおっしゃってませんが、だいたいそう考えて良いはずです)
で、権力(日本では幕府)が「土地」を単位に「農本主義」をやるとどうなるか?そこでは、商人や職人、遊女や芸能人(笑)はみんな土地がないわけですから、幕府の書物には「水呑」と書かれてしまうわけです。
後世の学者は、それをみて「ああ、幕府の支配する村は、こんなに水呑ばかりが多い。皆、困窮して大変抑圧されていたに相違ない。封建主義、おそるべし」などとなってしまうわけですなあ。
その「水呑」を調べてみると、船を何艘ももって交易していたり、牛馬もたくさん持っていたりするわけです。どんな貧民やっちゅうねん(笑)

で、そういう被差別階級の正体が、実は「市場」という「無縁」の場所でモノの売買を行う重商主義者達で、そういう権力の一つに南朝に代表される天皇家があり、また時宗真宗の僧侶が有力な資本家としてこれを支えていて、こういう「無縁」に人々は関所で止められることもなく全国を移動した、、、となると、つまり「俗世を切った」はずの無縁の人達こそ、いまの市民社会の先祖である、という見解が生まれてくるわけです。

網野史学のおもしろさ、ですなあ。

評価は☆☆☆。

いわゆる「正統的」歴史の本が面白くないな、と感じたときに、たぶん網野先生の本は強力なカウンターパンチになります。
今の「土地を持たずに暮らしている日本人」が、実は過去の歴史の「アウトサイダー革命」の申し子である、、、なんだか、胸がワクワクしてくるような話じゃないでしょうか。

こういう歴史のとらえ方は、ある意味で、いわゆる「差別問題」を考え直す、一つの方向性であるような気がします。「差別を撤廃しよう」という訴えは正しいものでありますが、別の方向として、差別というよりは「正統」から脱して存在した「アウトサイダー」として、差別を「脱構築」しちゃえ、、、という誘惑が出てくるわけです。

ぜったい損はない本ですが、有り難いことに文庫になって「日本の歴史をよみなおす」「日本の歴史をよみなおす(続)」が1冊で読めます。
一家に一冊、いかがでしょうか(笑)