Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

消滅の光輪

「消滅の光輪」眉村卓

司政官シリーズの代表作。これを読まずして、日本SFを語れない、というほどの名作。
悲しきサラリーマン中間管理職SF(笑)であり、さらに近代人の苦悩、孤独のSFでもある。

主人公の司政官マセは、植民惑星ラクザーンに赴任する。この星は、人間そっくりで、たいへん穏やかな先住民族と植民者がともに暮らす平和な星である。
司政官は、制度的には半分形骸化しており、晩年の香港総督のような名誉職的イメージとなっている。

そのマセに、たいへんな指令がもたらされる。惑星ラクザーンは、近い将来に、その太陽が新星化してしまい、消滅の運命にある、というのである。
マセは、この非常事態にあたって、住民を安全に他の惑星に移住させる責任を負うこととなった。
マセは、この事実をひた隠しにしながら、非常事態宣言を行うことに腐心する。もしも新星化を先に発表してしまえば、住民は大パニックとなり、経済は崩壊してしまうからである。
こうして、いささか民主的でない方法で、司政官として一種の戒厳令を敷くマセだが、このようなやり方に反発する一部住民のデモ、反乱により、ついに武力鎮圧を余儀なくされてしまう。
そして、ついに彼は巡察官によって解任され、待命司政官となってしまうのだ。一種の予備役であり、左遷である。
後任司政官は、強引なやり方でほぼ全住民を移住させるのだが、なぜか先住民族はこれに従わない。彼らは、太古の時代から一種の予知能力によってこの事態を予見していたのであり、このまま惑星ラクザーンとともに滅びるのだと言う。
そして、マセに、生物には地球人のように外に向かって勢力を伸ばすことを本能とする者と、環境に従ってともに生きることを選ぶ者がいるのであり、そのような運命を選ぼうとする生命に向かって外に行けというのは横暴である、と語る。
司政官としての建前では、このような主張を認めがたいが、しかし一人の人間としては理解できると考えるマセ。
その彼に、待命の解除が通知され、再び残務整理の司政官の地位に戻ることになったのだが、、、このまま、この職業を続けることができるのか、苦悩するマセであった。

評価は☆☆。名作であり、文庫で1冊にまとまったのは読みやすくて良い。

司政官シリーズは、連邦と惑星住人の板挟みになる「中間管理職SF」として語られることが多いのだが、それ以上に私は「近代人の苦悩」を描いていると思うのである。
全短編のときにも指摘したが、司政官はロボット官僚を使って統治を行う。これらロボット官僚は、司政官の意思に従うけれども、もっとも上位のSQ1といえども、彼の「友達」ではない。あくまで「賢いロボット」である。
よって、司政官は、孤独のうちに、すべてを考えて決定しなければいけない。彼の苦悩を、分かち合う相手はいないのである。

「消滅の光輪」では、一部住民が司政官のやり方を強権的だとして反発、武力蜂起に至る。このために、司政官マセは、ついに武力鎮圧を決断せざるをえなくなる。
しかし、司政官は、決してそのような決断をしたいわけではなかった。もちろん、逆に司政官側に協力的な住民も多数いるのだが、彼らは司政官ではないので、単に市民として、司政官を支持しているだけなのだ。
多くの住民の考え方は様々あるのだが、問題は「誰かが決断しないと、全惑星住民退避はうまくいかない」ことだった。それ故、マセは、その十字架を自らに課すのである。

思うに、戦争は、たぶん常に「望んだわけではないが、しかし、やむを得ざる」と言って始まるのである。
市民の立場からすれば、それは欺瞞であり、そうやって支配者は戦争に駆り立てるのだ、というもっともらしい理屈になる。
SFは、そこで思考をひっくり返すことを要求するのだ。つまり、あなたが司政官であればどうするのか?
語り合う友はいない。そして、成果を出さなければならない。権力はあるが、それを行使するには、困難を伴う。司政官は、万能の神ではなく、単に連邦の代理人にすぎない。
何度読んでみても、このマセの決断を愚策だとは言い切れないであろう。

文句をつけることは簡単だが、いざ自分がその立場になれば、やはり全てを背負っていくしかないのだ。それは、我々が「近代人」になってしまったからである。
もっと有り体にいえば、「結果」で物事を判断される「プロフェッショナル」と呼ばれる者に、皆が成らなければいけなくなってしまった。
そんな生き方はしなくていいじゃないか、というのは「前近代」の声である(本小説の先住民族がそうである)が、しかし、だからといって、前近代が近代人たる司政官の苦悩を分かってくれるわけではないのである。
マセに出来るのは、そういう苦悩を知っている司政官になることだけであるが、それは、いったいいかなる人生になるのだろうか?
淡々と任務をこなす、どこか醒めた職業人の末路が待っているだけではないか。いっそ、好きな女性の後を追って愛に生きてみるか。しかし、それとて、本来の解決というわけではない。
かくて、彼の苦悩は続くことになるのだ。

もしも、物事に対して、我々が第三者的に取り組むのをやめて、誠実に向き合ったならば、司政官マセの苦悩は誰にも生じるもので、決して逃れられるものではない。
それを描ききった、だからこの小説は「名作」と呼ばれるのである。

読むたびに、身につまされるので、心の底から好きではないけど。でも、何かあれば読んでしまう。そういう作品である。