Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

国際正義の論理

「国際正義の論理」押村高。

難解な国際関係論入門を新書にまとめたら、、、やっぱり難しかった(笑)
しかし、その原因は、著者にあるわけではなくて、国際正義そのものが難しいのだ、と考えたほうが良さそうである。
ちなみに、帯には「アメリカの正義、イスラムの正義、相互理解は不可能なのか」というキャッチコピーがある。おそらく、編集者も、この本がよく理解できなかったに違いない(笑)
本書には、その回答は明示されているわけでもなくて、まあ、なんとかなりそうな方向が良い方向だと信じたい、みたいなうにゃうにゃが書いてあるだけなのだからさ。

国際正義と言っても、つまりは「勝った側の作文」だという話はマキャベリの時代からあった。事実、そういう面もある。ちなみに、負けた側が作文を書くと、某空自高官のようになりますが(苦笑)
そこから時代変遷があるわけだが、人類の歴史上の大災厄はやはり戦争であるから、とにかく戦争を避けねばならない、という点ではおよその意見の一致をみることになる。
そうすると「いかなる崇高な戦争よりも、豚の平和のほうがマシ」という平和主義が台頭する。この論理を突き止めれば、強国、大国の言うままになっていても、やっぱり戦争よりもマシなので、それは忍ぶべき、という意見が出てくる。
このような大国主義が、たとえば国連における五大国みたいな形で具現化すると、途上国とか弱小国、あとから加盟した新興国などは怒るわけである。
「お前らの支配を強化するだけの国連なんざあ」というわけだ。実は、これは半分あたっているのである。
しかしながら、世界にはこのような身も蓋もない現実主義だけが跋扈しているわけでもなく、すべてが話し合いで漸進的に世界は進歩していくのだ、という意見もある。
事実、今や戦争は、いかなる理由があれ、国際的な支持を取り付けることは難しくなった。
また、途上国や新興国の貧困を見過ごしにするのは悪である、という共通理解も生まれようとしている。
イスラームの教義では、もともと異教徒は相容れぬ存在だが(最近、イスラームは寛容な宗教である、という言説があるが、あれはためにする議論であって、イスラームは厳格な宗教なので原理主義も生まれやすいのである。当たり前だ)最近では飲酒したり一夫一婦制を守ったり、女性の社会進出を認めたりといういい加減なイスラム教徒(笑)も増えた。
おかげで、西欧的な自由主義が、西欧の枠を超えて、受け入れられつつある。。。

評価は☆。もともと国際関係論という奴は難しい。新書にしても、中身は難しい。
ムリに単純化して、すっきりさせていないところが本書の価値なのだと思う。だから、これはこれで、良いような気がする。

かつて、ソマリアがどうしようもなく内戦でぼろぼろであった時、米国が「ソマリアを救え」と武力派遣した。
ところが、かえって米軍は、現地の複雑な情勢に翻弄され、にっちもさっちもいかなくなる。で、うやむやのうちに撤退。まあ、中東がはじまったので、それどころではなくなったというべきか。
で、ソマリアは、ご存じの通り海賊が跳梁跋扈しているわけだが、海上だけが無法地帯で陸上だけは無事なわけがないのであって、もちろん国内はどうしようもない。
しかし、ソマリア政府は、内戦の続く中で疲弊困憊だから、正直なんの手もない。有力な勢力もない。
みんなが怖いから、知らん顔をしているわけだが、それでも海賊にはときどきやられてしまう。
ソマリアには、海賊が自治をしている海賊町があって、結構にぎわっているそうである(笑)
こんな国(といえるかどうか。。。)をどうするべきか。
武力派遣は、かえって事態を悪化させる。そうかといって、人道支援なんて、できるような状態ではない。つまるところ放置プレーしかない。
どこの国だって、やっぱり他国よりは自国のほうが大事である。これは仕方がない。自国よりも他国を大事にする政府は、そりゃ国民から文句を言われるだろう。どっかの自虐大好き国民は例外かもしれん(笑)
とすると、国際正義もやっぱり、その前提で、自分たちがそこそこの暮らしが出来てはじめて俎上に上がる問題なのに違いない。
つまり、とりあえず生活は出来て、そこそこ暇のあるご近所さんのうわさ話と同じである。
とすると、あまり真面目に考えても仕方がない、みたいな話がでてきそうな気がする。たぶん、これからのアメリカがそうなるのではないだろうか。
自分のところが大変なのに、よそに構っているヒマはない、というつまらない結論になりそうだ、と思うのである。