Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

陪審員

陪審員」ローラ・ヴァン・ウォーマー。

アメリカで、殺人事件の陪審員に選ばれた男女の物語である。
小説家のリビーは、なかなか小説が売れないため、貯蓄の残高が減っている。頭を悩ませているところに、有名な女性モデルであるシシーが、大富豪の御曹司に殺された殺人事件の陪審員として裁判所から召喚がくる。
彼女は、そんな暇があったらアルバイトでもしたいところである。けれども、理由なく陪審員を拒否することはできない。それに、市民の義務である。
彼女は、裁判所に出向くが、そこには手練手管を弄して陪審員に選ばれまいとする人々の姿があった。
アメリカの陪審員は、検察側が6名、弁護側が6名、それに予備として4名(陪審員になにかあれば、最初から裁判をやり直さなくてはいけないので、あらかじめ補欠を入れておくのである)。
そして、彼女は誠実に対応した結果、陪審員に選ばれてしまうのだ。
苦労してプロモーターがとってきてくれた有名テレビ番組への出演依頼を、陪審中で断らなければならなくなったとき、彼女は無念のあまり涙を流す。
裁判に通い始めると、陪審員仲間の知的な男性アレックスが彼女に興味を示す。しかし、彼はストーカーだった。
一方、もう一人の陪審員仲間、証券アナリストのウィルは、ある日突然転がり込んできた女性と同棲しており、彼女と別れ話がこじれて困惑している。
彼自身が、弁護士に訴えられるような展開となっているのに、他人の裁判の陪審を務めなければならない皮肉というわけだ。
そして、リビーとウィルは、互いに惹かれ始めるのだが。。。

この小説はミステリというわけではなく、どちらかといえばハーレクインロマンス的な恋愛小説なのだ。
我が国で陪審員制度が始まるので、つい手にとって読んでみたのだが、ううむ、、、どうにも苦手な分野のしろものであった(苦笑)

とはいえ、ただの三文恋愛小説とは違っていて、法廷での検察と弁護士の丁々発止のやりとりが、かなり丁寧に書き込まれている。
すなわち「疑わしきは罰せず」。つまり、弁護側は、検察の立証を「100%信じるには足りない」ということを、いかに主張するか?

小説の最後で明かされるのは、この裁判での真実である。
つまり、アメリカにおける刑事訴訟の手続きは、非常に厳格であって、正しい手続きで得られた証拠でなければ、裁判で使ってはならないというルールがある。
だから、仮に決定的な物証があっても、その捜査が「別件」によるものだったりしたら、その証拠は陪審員に告げられることはないのだ。
陪審員たちは、評決に達するまで、別室に缶詰になって討議を繰り返す。そして、彼らは、不自然な証拠の欠落に気づくのである。
ごく当然の捜査結果を、どうして検察も弁護側も告げないのか?
そうして、彼らは、ついに正しい評決に達するのだ。

評価は☆。期待はずれのストーリーだった割には、楽しく読むことができた。

作者は、実際に陪審員に選ばれた時の経験をもとに、この本を書いたそうである。
たしかに、奥行きのある話になっている。自分が陪審だったら、このように正しい評決に達することができるだろうか?
そういう読み方だってできる本である。

陪審員という制度の根底は「正しいか、正しくないか、その基準を決定するのは市民の常識」という英米法の基本思想がある。
「誰か、エライ人もしくは専門家が決めることに、百姓は従うのがよい」という考え方はないのである。
当然ながら、しかし、こういう作業は苦行になる。苦行がなければ幸福で、社会の維持は誰か他人が責任をもってやれば良いのか?
少なくとも、たとえば国家という擬制を剥ぎ取ってみれば、裁判官というのは「試験に受かっただけのオヤジ」に過ぎない。
そのオヤジの言うことを、どうして聞かなければならないのか。あまつさえ、その結果で、人が牢屋に入ったり、ひどい場合には首つりの刑になったりするわけだ。
そういう根本的な疑問を考えてみる機会としては、悪くない小説だと思うな。