Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

水の城

「水の城」風野真知雄。副題は「いまだ落城せず」。

風野真知雄という作家は、たいへん面白い小説の書き手で、以前にこの書評でも「北の関ヶ原」を取り上げて激賞したことがある。
題材の採り方がマニアックなのだが、妙な力の入らない文体も好ましい。

本書の舞台は、武蔵の国忍城である。現在の埼玉県行田市あたりで、自転車でよく行ったあたりなので、それもあって楽しく読んだ。
忍城は、沼地の島をつなぐように築城された城で、蓮の城とも言われる。規模は大きくない。
この小城が、石田三成率いる豊臣の大軍を引き受けて、あの小田原城が落城したというのに、最後まで持ちこたえた。
石田三成は、この城を攻めるのに秀吉が得意とした水攻めの策を使い、無惨に失敗したことで有名である。

しかし、作者は、別の解釈をこの攻城戦に与えている。
忍城を治めていた成田氏は、主力部隊が北条氏の小田原城に援軍に出向いてしまったから、城に残っている兵はわずかだった。
城主は、最初は成田肥後守だったが、籠城中に早々に病死。息子の成田長親が城主となる。
この長親だが、実に凡将であって、怜悧な質などみじんもない。諸将居並ぶ挨拶で「やるだけやって、あとは野となれ」と発言し、皆の失笑を買うようなていたらくである。
しかし、なんとなく腰のすわらぬ、ふにゃふにゃとした戦い方が、泥田の中に浮かぶ忍城と相まって、いくら攻めても手応えのない不思議な籠城戦を作り出す。
業を煮やした三成は、そこらの百姓を動員して突貫工事、見事に堰堤を築いて水攻めを策を見せるのだが、この堰堤が決壊。なんと自軍がおぼれ死ぬという醜態を演じてしまう。
その間、城主の長親は、水攻めにされた城で船遊びのかたわら、釣り竿を出して鯉を釣ってご馳走にしているのである。
城にこもっていた百姓達は、水浸しにされた自分たちの田をみて、一層怒りをかきたて、城はますます堅陣となる。
あとは続々援軍に駆けつける豊臣軍を、深田で身動きとれなくなったところでねらい打ちにして、撃退しつづける。
ついに忍城は、講和交渉し、全員無血開城となったのであった。

評価は☆☆。籠城戦というのは凄惨な戦いになりがちであるのだが、城方が勝利した戦いだからであろうか、軽妙なおもしろさが全編に漂う。
忍城の強さが、いわゆる「剛強さ」とは正反対な「しなやかさ」にあるところが、よく描かれている。

本作は人気が高いが、それは城将の成田長親の「凡将」ぶりにあるだろう。
気の利いたこともいえぬし、膂力もない。40過ぎた初老の(当時としては)なんら功績もない、まさに凡愚の将である。
その凡愚の将が、ひとつひとつの事態に「当たり前に」対応していくところがすごい。

最後に、開城交渉にきた豊臣使者が「持ち出せるのは荷一つだけ」と言ったとき、成田はこれを拒否する。
豊臣使者は「当方も被害が大きく、恨みが深いから」ガマンしてくれ、といったとき、成田はこういう。
「当たり前のことですのに」
使者が真意を問うと
「武士が、攻められて籠城するのは当たり前のことであって、それを恨みに思われなければならない理由がわからない」
というものであった。
人を食ったような話だが、たしかにその通りである。まして、成田は勝っている。仕方なく使者は小田原へとって帰し、ついに「城内のものは分配自由」という条件を持ち帰る。
これでようやく成田は納得、無血開城に至るのである。

「平和ぼけ」な時代の我々であるが、この小説の舞台の忍城も、謙信来襲以来、戦乱は絶えて、当時としては「平和ぼけ」であった。
それでも、いや、だからこそ、その地が踏みにじられれば黙ってはおられない。そういう心理もよく描かれている。
平和ぼけも、なかなかあなどれないものだと感じさせられる一冊である。