Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

国家とケータイ文化

電車に乗っていると、昔はみんな漫画や新聞を読んでいたものだが、最近ではケータイをいじっている。
若い人は、まずそうである。
「漫画雑誌すら売れなくなった」出版不況の縮図だと、以前に書いたことがある。

最近、なくしたら困るもののアンケートがあったが、トップがケータイだそうである。
たぶん、本人にとっての社会すべてが、ケータイになったのだと思う。
恋人とも家族とも友人とも、ケータイでつながっている。いわば、世間がケータイである。
だから、電車の中で化粧をする。赤の他人は、世間ではない。
もしも電車の中に、ケータイでつながっている友人がいたら、たぶん彼女は化粧をしないだろう。

昔は、国家とかいうものがあったそうな(苦笑)
そういう想像のために「日本」だとか「アメリカ」だとかいって戦った。古き良き、とは言えないな。
今でも、そういうノスタルジーな話を、8月になるとやっている。

しかし、ケータイの世界には、佐藤や田中や鈴木やジョンやベンやルーシーや陳、キムがいるけど、日本さんもアメリカさんもない。
そんなものは登録されてもいない。
ケータイをなくしたら困るから、つまり佐藤や鈴木やジョンと連絡がとれないのは困るが、日本さんやアメリカさんは登録されていない。
だから、そんなものは関係のない話で、化粧をしたって構わないだろう。

ある意味で、現実的な手がかりをもとに判断するということは、ありもしないものにだまされないということだ。
今の若い人は、正直にいって、政府が存在することで、経済的に得があるといいきれなくなっている。
麻生総理は、同窓会の仲間に対して「たらたら飲んで食って、どうしてそんなやつのためにカネを出さなきゃならんのか」と言った。
保守だとか、口の悪い人に右翼だとか言われている人にして(苦笑)そうである。

じゃあ、なんでそもそも、ケータイに登録されてもいない人のために、税金を払ったり保険料を払ったりしなきゃならんのさ?
そんなものより、友達が大事。そうじゃないかね?

そういう世の中になったと思う。
国家が崩壊したと嘆く人もいるけど、さて、どうだろうか。
ある意味で、すごく健全になったのかもしれない。だまされにくくなったとは言えると思う。

戦後、国民が「軍部や偉い人にだまされていたんだ」という話になった。だから「今度はだまされないようにしよう」ということになった。
だますものは巧言令色であり、だまされないものは目の前の物質である。だから、物質を信じるべし、となった。物資で負けたのだから、言わずもがなだった。
ケータイ文化は、戦後の日本人の素直な反省に基づいている。
そうであるとすれば、これは、一概に悪いとはいえないのだと思う。

私は、そういう考え方に、すっぱりついていけない部分を抱えているけれども、もっと若い人はきっとそうではない。
私の会社は小さいけれども、その中ですら、国籍は韓国も支那もある。区別を、ケータイに登録があるか否かでしても、別におかしくはない。
少なくとも、それは自分の生活に根ざした判断であるのだから。

国家は便利で、ある意味で重要な概念だったが、21世紀もそうであるという保障は何もない。
現に、おおきな問題として、自由貿易は各国の経済的つながりを強め、戦争の危険を減らしたが、一方で途上国の台頭による先進国内の失業問題や移民問題を引き起こす。
日本だって例外ではない。
そんな問題だって、単に鈴木が「使えねえ奴」であり、陳は「できる」という総括で、簡単に解決するので、別に問題を国家にあげる必要はないじゃん、といえばそれまでなのだ。
民主党が目指す世界の一つに、むしろそういうことがあるかもしれないと思う。

私には、そんな変化もあるように見えるのだ。最近の雑感である。