Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

天使と罪の街

「天使と罪の街」マイクル・コナリー

マイケル・ジャクソンと表記するんだから「マイケル・コナリー」じゃないかと思うのだが、まあ、どっちでもいいか。
マイケルじゃなく「マイコー」と書く人もいるらしい。確かに、その方が発音としては似ているような。
と、いきなり、何の関係もないところから始めるのだ(笑)。

というのも、この本、たいへん面白いのはいいんだが、うっかり書くとネタバレなのである。つまらないネタならいいが、かなりの「大どんでんがえし」なので、それを書いちゃあ、、、と思う。
で、非常に表面づらをなぞると。
主人公はボッシュという名前の私立探偵で、もとは警官である。冒頭、昔、仲が良かった警官マッケイブが病死するのだが、その死に謀殺の疑いがあるというので妻から捜査の依頼を受ける。
一方、ネバダの砂漠の中で、埋められていた死体がごろごろ発見される。その遺体の殺され方が、かつて世間を騒がせたシリアルキラー「ザ・ポエット(詩人)」にそっくりだった。「詩人」は死んだと思われていたのだが、どうもそうではなかったらしい。
そこで、「詩人」の捜査がきっかけで左遷されていたFBI捜査官のレイチェルが呼び戻される。
警官マッケイブの死も、この連続殺人鬼「詩人」の仕業かもしれない。
捜査の糸は絡み合い、途中からボッシュとレイチェルは共同捜査をすることになる。
そして、ついに「詩人」を追い詰めるのである。。。

コナリーは、以前に「チェイシング・リリー」「シティ・オブ・ボーンズ」を読んで、たくみなストーリーに感心した記憶がある。
物語は、ちょっとした発端からはじまり、それが発展していくつもの重層的なシナリオが重なっていく。とまることがない。そして、ついに真相にたどり着く、そこで大逆転。さいごに、余韻を残しながら終わるというパターンである。
ステレオタイプかもしれないが、明らかに「起承転結」をきちんと意識して創られた物語だ。設計図がしっかりしていて、読者を牧羊犬のように冷静にほえながら、たったひとつの結末に導く。
「設計図ろくになし」で「野犬のように吠えるだけ」の小説が成功を収めることがないとは言えないが、やっぱり少ない。例外はエルロイだろうが。あんな天才は比較対象にしちゃいけない。
コナリーは、起承転結がしっかりと計算されたエルロイであって、明らかに「芸術家」ではなくて「職人」である。
安心して読める、そして面白い。これぞアメリカの小説、という感じがする。
ただ、いつも思うのだが、アメリカの人口は日本の倍いるわけだが、だいたい「アメリカ人はアホ」と思っているわけだ、だいたいは(苦笑)。
しかし、大衆小説のレベルをみる限り、アメリカの完勝である。言いたくはないが、日本の作家のテクニックも構成も、遙かに米作家に劣る。
なんでだろう、と考えたが、たぶん理由は供給サイドにある。新人発掘と育成のシステムが、日本よりもしっかりしており、競争も激しい。
日本の読者のレベルが低いゆえである、とは思わないし、思いたくない(苦笑)

評価は☆。まず、間違いのないところ。
ただし、この手のシリーズ物にはおぼれたくないのだ。おぼれるのは快感なのだが。。。

というわけで。
すっかりコナリーの手の内におっこちるのを楽しむ作品である。
騙されるのじゃない、騙されるのを分かっていて、それを楽しむということである。
「なんだ、だましやがって!けっ、こんな大衆消費小説めが」などと思ってはいけない。そこを「へへえ、私も大衆ですから。ささ、早いとこ、やってくだせえ」と言いつつ、ニヤニヤと意地の悪い笑いを浮かべる。
そうすると「ハイハイ、では」とキッチリ仕事をしてくれるのだ!
なんて素晴らしい。

秋の長雨で、ベッドに寝ころんで自転車に乗ることもできない週末の憂さを忘れる読書にお奨めである。