Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

追悼

中川昭一財務大臣が亡くなった。
心からお悔やみ申し上げる。

トラックバック先のグリフィン通りさんが書かれているように、父上のこととあわせて、なんともむごい感じがした。
かくまで、政治の世界は人を追い詰めるのだろうかと思う。

手のひらを返すマスコミ各社の報道姿勢は、グリフィン通りさんの記事のとおりである。
「しゃぶり尽くす」まさに「消費」されてしまったんだなあ、と思わずにはいられない。

中川氏は、特に拉致問題に関する取り組みが真摯な方であった。
ブログで見かけるしたり顔の論評に「カネを払わなければ、帰ってくるわけがない」というものがある。阿呆である。カネを払わなければ帰らないのは、皆そりゃわかっている。単にカネを払えば「ポケットをたたけばおカネが一つ、もひとつ叩くとおカネがふたつ、そ~んな不思議な日本人が欲しい」となるじゃないか。カネが欲しければ日本人をさらうと簡単だ、そんな結論を与えてどうするというんだろう?
だから、二度とそういうことがないようにしてからじゃなければ、それはダメなのだ。
たとえば、今の日本人が戦争をしようと思わないのは、憲法9条のおかげではなく、ひどい目にあったからである。反省したのは、平和主義のおかげじゃなく、とことん割が合わないと思い知ったからだ。
拉致問題は、国家間の犯罪という問題だ。彼らが、日本人を二度とさらおうと思わないように、教訓としなければいけない。「一部の英雄主義者のせいだから、以後はない」じゃないだろう。それじゃあ、一部の英雄主義者をどう防ぐというのですか。英雄主義の至るところが、日本人拉致だという話自体がふざけていると、はっきり言わせなければいけない。心から割の合わないことをしたと思わせなければ、またいつか事件が繰り返される。

言うに言えない事情を歯を食いしばり、頑張っていたのが、中川さんだったと思う。対話と圧力というのは、そういうことだ。単に生きているとか、死んでいるとか、そういう話の次元じゃないだろう。
真の保守というものがあるのなら、それは国民を守れなかった国家という反省の上に立たなければ嘘である。
その上で、苦しい苦しい判断をしていかなければいけない。誰かが決めなくてはいけないから。
さぞ、葛藤があったであろうと思う。つらかったであろう。

過去形になってしまった。
心からご冥福をお祈りしたい。あの世で、ゆっくりと酒を飲んでいただきたいと思っている。