Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

バイアウト

「バイアウト」幸田真音

ファンド会社が、とある音楽産業会社に敵対的買収をかける。
ある外資系証券するの女性営業がそこに暗躍するのだが、彼女の母親は離婚しており、元父親がその音楽会社の経営陣として在籍している。
女性営業は、「久しぶりの父との再会」を果たし、言葉巧みに音楽会社の内情を聞き出す。
その内容を、買収をしかけているファンドへ内通して、有利な展開をもちかけるのである。
ちょうど同時期、その音楽会社を、別の事業会社がTOBをかける。
つまり、この時点で、音楽会社は2社のTOBの競り合いになってしまったわけである。
困った音楽会社がとった方策は「焦土作戦」であった。
他社から狙われる原因となった有名歌手との専属契約や過去の音源の著作権を、別の会社へ譲渡してしまうのだ。
そして、元父親は、娘が敵対的買収を仕掛けてきている他社のエージェントであることに気づく。
そころが、その元父親が語った離婚の真相は、娘には意外なものだった。。。

ちょうどライブドア村上ファンドの事件が話題になった頃に書かれた作品らしい。
帯の惹句には「会社は誰のものか?」などと書いてあるけど、そういうテーマには全くの踏み込み不足である。
音楽会社の老経営者が持つ会社への執着も、とおりいっぺんの「長年培ってきた愛着」レベル以上のものでない。
なかなか、これは共感を得ることが難しいのではないか。

私は、「会社は誰のものか?」と聞かれたら、「そりゃお客様のものでしょう」と答える。
経済の世界では、それが正解だろうと思うからだ。
しかし、たとえば経営者や従業員、あるいは取引先にとっても「会社」は、そういう回答とは違う側面を持つ。
取引先にとっては、会社は「お客様そのもの」であるケースもある。彼にとって「お客様のお客様」は、正直関係ない。
また、経営者にとっては、すべての彼の人生における「関係」そのものであるケースが多い。若いときから仕事一本槍で、必死にやってきた人は、会社以外の人間関係をもっていないのだ。
つまり、会社の経営から外れることが、人間世界そのものからの疎外のように感じることが多い。若いときとはちがって、もう新たな人間関係を築くのは難しいからだ。
それは妄執かもしれないが、だからなお、人は会社に固執する。
従業員にとってもその事情は似ているのである。

評価はナシ。リアルビジネスの経験が浅い著者にとって、ちょっとテーマが違いすぎたのだろう。

私も、長年苦労した会社を去らねばならなくなった口である。
しかし、別にファンドを恨んではいない。むしろ、へたくそな経営をしたほうに問題があるのであって、経済的にゼロにならずに済んだのは、有り難いことだと思っている。
割り切れないものが世の中には多いが、それでもケリをつけるにはお金は適しているし、そうしないと次に進めないわけだ。
お金については、あれば実に便利だと思う。たくさん欲しい(笑)
ただ、お金そのものを尊敬する気持ちはないなあ。便利なものと、尊敬するものは、一致しないわけだ。
果物を食べるとき、果物ナイフが便利だが、だからといって果物ナイフを尊敬はしない。当たり前である。
世の中で暮らすとき、お金は便利だが、だからといってお金を尊敬はしない。当たり前である。

ただ、そのお金持ちになる過程で、様々な苦難に直面し、それを乗り越えて財を築いた人は尊敬する。
その人間力に尊敬するのである。100億持っている人を、1億もっている人の100倍尊敬するかと言われたら、それはないな。
過程の価値は、人それぞれだ。

お金は、持っていることよりも、必要なときに調達できることのほうが大事だ。なければ困るときにないと困る。
だから、バカには出来ない。
しかし、あるから自慢するものじゃない。あれば困らないというだけのことである。
私には、それ以上の価値がなかったから、その程度の生活になった。
もっとお金に価値を持たせることの出来る人は、もっとお金を手にするものである。不思議なことに、世の中はそうなっているのだ。