Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

すべての経済はバブルに通じる

「すべての経済はバブルに通じる」小幡績

相場はリーマンショックをなんとかやり過ごしたものの、あらたなゴールドマン・サックスショックでまたまた軟調
先行きを予想するのはなかなか容易ではない。金融相場が回復しても、米国の失業率の高さなどの実体経済の悪さを考えれば、年内に再び「底割れ」という悲観的なストーリーだってあり得る。

こういう有様になった原因といえば、皆が「サブプライムローン」だと言う。
しかし、本当に「低所得者に住宅ローンを組んだ」ことが、大不況の原因なのだろうか?
いわゆる巷間の「バブル崩壊」とは何なのか?理論値を超えるテイクリスクがなぜ起こってしまうのか?を、本書は丁寧に解説する。

本書でもっとも秀逸なのは、その前書きである。
著者は「資本主義って何ですか?」という質問に対して「ねずみ講」だと答える。これぞ、快刀乱麻である。
たとえば、ある証券を買う。なぜ、その証券を買うのか?それは、単に「もっと高く売れると思ったから」である。
つまり、資本主義にある商取引とは、価格差を利用して利潤をあげることだから、仮に実態がなんであれ、あとでもっと高い価格で買ってくれる買い手が現れればそれでよいのである。
バブルしかり。
バブル相場では、みんながバブルだと思っている。思っているが、たくさんの人が参加する。特にプロが参加する。
なぜならば、バブルが儲かるからだ。そして、ぎりぎりまでがんばる。最後までぎりぎりがんばれば、もっとも高い報酬が手に入る。
ただし、逃げ遅れたら、悲惨なことになる。
いわば、バブルは火事場泥棒なのである。うまくいけば、濡れ手に粟で儲かる。しかし、逃げ遅れると、焼け死んでしまう。
さっさと逃げると、もらいが少ない。
プロは、金主から運用成績を比較される。成績が悪ければクビであり、ファンドは解散する。
そして、世界は、どんどん投資機会が減っていく。グローバル化しているから、投資する市場は増えるのだが、市場が増えれば価格のひずみは是正されてしまうのだ。
すると、行き場を失った資金は、わずかな価格のひずみに殺到する。ついには、理論リスクを超えても、なお資金が流入する。バブル発生と崩壊である。

評価は☆☆。
非常におもしろく読んだ。

あらゆるものが証券化されるということは、そのものが流動性を持つということである。
で、流動性をもった証券は、実態と切り離されて「運用実績」という単一の物差しで評価される。
「世の中、結果が全て」という考え方がある。実際には、シナリオは無数にある。結果は、その中のひとつ(たぶんに偶然)にすぎない。
しかし、人は、偶然の結果を「必然」だと考える。出てきた数字は「ほかにあり得なかった」という。そして、その数字が出てきた理由を、いろいろな数式を駆使して説明する。
それに基づいて、次の投資行動を決める。
しかし、立派な実績も、もとをたどれば「ただの偶然」である。
悪い結果が出たら、それが崩壊の合図となり、なだれをうって皆が売りに走る。売りは売りを呼んで、崩壊にいたる。

ビジネスでもそうだ。成功した人を「あの人はすごい」「○○さんの経営哲学」といって褒め称える。
倒産した人は、糞味噌にけなす。世の中、結果がすべてだから。
そして、その結果を、説明する理論をありがたがるのだ。良いときはみんながトヨタ式、悪くなればトヨタの慢心だという。
トヨタ自身は、正直なところ、大して変わってはいないだろう。偶然、そういうふうになっただけだ。
しかし、そこに人は必然を見いだす。甚だしいのは陰謀論である。しまいにはユダヤだ、フリーメーソンだ、ロックフェラーだと言い出す。
ロックフェラー氏に、世界を動かすだけの神通力があるのか、NYの自宅に手紙を書いて問い合わせてみたこともないのに、である(苦笑)

人はみな、必然の毒に侵されている。それが、科学的思考という近代の呪いの正体なのだ。
偶然は偶然だと、ありがたがらず、かといって卑下もせず、尊敬も軽蔑もしない。そういう平静なものの見方は、なかなか難しいもののようである。