Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ウチのシステムはなぜ使えない

「ウチのシステムはなぜ使えない」岡嶋裕史。副題は「SEとユーザの失敗学」。

なぜこんな本を読もうと思ったかといえば、それは今の私が「こんなシステムを作りやがって!」とユーザに怒られまくっているからである。
その鉄火場ゆえ、なかなかブログの更新もままならぬ、、、というわけである。
結果、深夜3時まで現場にはまり、翌朝9時には運用現場に立ち会わねばならなくなり、思いっきり足下を見られたビジネスホテルに泊まるとき、このままこの窓から飛び降りようかと思うのは、同じ経験をした人でなければ、なかなかわかるものではない。

この本は、そういう悲劇が、IT業界でしばしば起こるということ、そこの登場人物たるユーザはもとより、SEにもプログラマにも、あるはシステムアナリストにも、基本的には悪意がないこと(変わった人がいることは、少々誇張を含めて述べられているが)が縷々説明されている。
システム開発から運用まで、この業界の悲劇は、人の善し悪しとは関係なく起こる。
もちろん、コミュニケーションギャップの大きさが大原因なのだが、しかし、いくらコミュニケーションが良くても起こる。
そういう意味で、本書を「解決策がない」とか「具体策がない」ただの読み物と批判することはたやすい。

しかし、である。
たぶん、著者は、そういうことを意図して本書を書いたのではあるまい。
おそらく、本書のタイトル(特に副題)は、出版社がその商策上、編集段階でつけたものに相違有るまい。
本書の内容は、決して失敗学ではないのだが、そうしたほうが売れるのだ。
つまり、本書のタイトルと内容に齟齬があると感じた業界人の方々は、まったく同じ構造が、IT業界にもあるという話だと思って欲しいのである。

たぶん、このような悲劇は、大会社の開発現場には起こらないであろう。
予算と工程管理がきちんとしており、開発手法も確立している現場で、こんな失敗はない。
ところが、かつては沢山あった。
今は、IT不況なので、そういう現場がなくなってしまっただけだ。
現場がなくなった代わりに、仕事がなくなったPGやSEがたくさん出来ただけのことだ。

こういう景気であっても(銀座はまたもや閑古鳥ばかり鳴いている)急成長企業はある。
すると、そういう企業がシステム開発を思いつく。
なにしろ、急成長しているから、旧システムの限界はすぐに近づくわけだ。
で、営業を呼ぶ。あれこれと要求を並べる。
優秀なシステムアナリストは、きちんと仕様を把握して、適正な金額と工数を出す。
すると、これは、ユーザには買えないのである。
で、次に、いい加減なシステムアナリスト(つまりは営業)が呼ばれる。
彼は、顧客の期待通りの仕様を満足する。そう、最新ミドルウェアの○○を使えばできる、▼▼を使うとこんなこともできる、という。
ユーザは、魔法使いが現れたと思い、喜んで発注する。その金額は、まともな最初のシステムアナリストの提示よりも、大幅に安いのだ。

そして、そこから悲劇は始まる。
○○と▼▼は共存できないのだ。仕方がないので、仕様をたたみましょう、と言ってくる。なんじゃそりゃ、話が違うと口論になる。
それでも何ヶ月かやりとりして、じゃあ仕様はこのへんで、と双方ようやく苦々しく手打ちが済むと、ビックリ、システムは出来上がっている。
そりゃそうで、最初の圧縮した見積もりで、何ヶ月も人員待機できるわけもない。落としどころを適当に、てなもので、現場SEの判断でばんばんコーディングは進む。
さらに悲劇は起こる。
急成長企業たるユーザは、テスト稼働を許さない。出来たらすぐにもってこい、という。
開発側は、自社のテスト環境で完動してたから、といいつつ、ある日投入する。
たちまち、最新のミドルウェアたる○○が止まってしまう。そう、不可能を可能にする最新ミドルウェアには、多様な環境で使われた実績がないのである。
現場は阿鼻叫喚の地獄となり、帰宅をあきらめたコンサルタントやSEがともかく運用を、と走り回る。
彼らの体力がつきたとき、とりあえず元の環境に戻そう、という苦渋の結論がくだされ、再びSE達が小便も出なくなりながら復旧作業をする。
次のスケジュールの目途はたたない。。。
最新ミドルウェアを提供した連中は、雲隠れしたまま、決して現場に出てくることもない。
しかしながら、こういう人柱がいないと、ミドルウェアが進歩しないのも事実である。
誰しも新人医師の手術を受けたくない。けれども、患者全員が新人医師の手術を受けないでいれば、やがては全ての医師が新人医師同様になってしまうのだ。。。

あまりにつらいので、この本の評価をしたくない。
この本は、上に述べたような事態に対する処方箋ではない。
ただ、そのような事態が起こるということだ。
起こってしまった事態を、なかったことにはできない。
この本は「ああ、俺もやっちまったなあ」という感慨を抱かせるだけのものだ。
それだけの話が、渦中の人間にとっては救いになることだってある。
本書は、むしろ、そういう事態に陥ってしまったユーザやSEに対する愛情の本なのだ。

それにしても、つらいことではある。