Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

雨の牙

「雨の牙」バリー・アイスラー

著者のデビュー作品であり、高評価を得た作品。
派手なアクションシーンがあり、ヒーローとヒロインの絡みもあって、映画化されたようだが、こっちは大コケしたらしい。もとより、小説しか読まないので、関係はないが。

主人公は日米ハーフの殺し屋レイン。
いつものように、電車の中で自然死にみせかけて建設官僚を殺害。
ところが、その後で、どういう偶然か、被害者の娘「みどり」とジャズスポットで会う。彼女は、ジャズピアニストであった。
レインは、なんと自分が殺した相手の娘に、一目惚れしてしまう。
ところが、そのレインに、その娘を殺すように依頼が来た。どうやら依頼主は、娘が重要機密ディスクを父親から譲られたと考えており、その機密を守るために娘を殺そうとしているらしい。
レインは、依頼を受けることはしないで、逆に娘を守る行動をとることにした。
一枚のディスクを巡って、レインとみどり、ディスクを追う組織が入り乱れて逃走と反撃がくりかえされる。。。

著者は日本在住のアメリカ人ということだが、日本に関する描写は細かく、まるで本当の日本人作家が書いているようだ。
翻訳小説であるにもかかわらず、非常に読みやすい。
ただ、映画がヒットしなかった理由も頷ける。

まずは、レインがみどりを守ろうとする動機である。小説中では、ごく自然に「一目惚れ」で済んでしまう。
しかし、通常の日本人的感覚からいえば、自分が殺した相手の娘に惚れるとか、そのために元依頼主と戦うとか、まあついていけないのもムリはない。
レインは殺し屋という設定なので、ごく簡単に邪魔する相手を殺してしまうのだが、その一方で大事な相手を守り抜こうとする。
これを「自分の主張に忠実」とみるか、はたまた「主張が一貫しない気分屋」とみるか?あるいは「ゲームのように、敵と味方をデジタリイに分けた行動」と眉をひそめるか?
まあ、早い話がエンタテイメント小説なのだから、そういう逡巡自体が馬鹿げているのだが、しかし、日本におけるエンタテイメントは「馬鹿げている」と気づかれない程度にバカなほうが好かれるのである。

評価は☆。
う~む、と思ったが。まあ、それなりに面白いと思うので。

小説は、それほど悪い出来ではない。
だけど、映画にしたら、あまりにべたでしらけてしまうだろう。
たとえば、現在でチャンドラーの「長いお別れ」を映画化したら、やっぱりクサイに決まっている。

我々は、情報があふれた世の中に生きている。すべてのものは「二番煎じ」であるし、「ワンパターン」である。
残念ながら、パターンを持たないストーリイを、我々は理解できないからである。
ダダイズムも不条理も、この鉄則を打ち破ることはできなかった。
日の本に、なべて新しいこともなし。そういえば、その通りなのである。
難しい世の中になったんだなあ、と思うのである。