Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

詐欺の心理学

「詐欺の心理学」取違孝昭。

副題は「どうだます?なぜだまされる」である。

詐欺というのは、たいへん興味深い犯罪である。なぜなら、被害者は、どういう経緯であれ、いったん
「同意」をしているからである。
これが、強盗だの誘拐だのであれば、話は違う。
強盗は「イヤだ」というものを奪うのである。これは、自由意思と財産権の侵害である。
誘拐も「イヤだ」というものをさらっていく。これも、自由意思と人権の侵害である。
ところが、詐欺というのは「いいですよ」と言ってしまうのだ。「はい、わかりました」と。
このため、ごく初期の資本主義では、詐欺という犯罪はなかった。刑法で扱うべきでないと思われたのだ。商品が期待通りでなかったとしても、それは商売上の問題なので、犯罪とはいわない、と。
それどころか、資本主義には不可避だと思われてさえいたようである。

現在でも、この区別は難しいところがある。詐欺か、あるいは単なる「返せません」かは、大いに意思の問題があるからだ。
詐欺罪の構成要件は、明確に「騙す意思」の存在が必要なのである。

本書は、その逆であって、そもそもどうして人はだまされるのか、ということに焦点をおいている。
色々な事例が挙げられているが、そのポイントは一つである。
つまり、騙される人自身に「信じたい」という気持ちがあるのだ。
振り込め詐欺からM資金話まで、すべてそれは「信じたい」気持ちを引き出し、悪用するのである。

「絶対に私は騙されない」と考えていても無駄である。
我々は、多かれ少なかれ、他人を信用することを前提として社会生活を営んでいるのだ。
たとえば、赤信号で来るクルマが止まるだろうと思う。実際には、止まらないかもしれない。相手のドライバーが、ちゃんと信号を見ていないかもしれないし、そもそも信号を守る気がないかもしれない。
そんな馬鹿な、と思ってはいけない。自転車に乗って交差点を渡る人を見れば、赤信号など無視の人物は老若男女問わず、いくらでもいるとわかる。
彼らが自動車に乗った途端に、きちんと信号を守ってくれると期待することは、不合理である。そして、現実に、一人の人物が自転車に乗ったり自動車に乗ったりするのである。
ただし、赤信号で常に「だけど、あのクルマは止まってくれない可能性が高い」と思いながら市民生活を送ることは不可能である。
我々は、多かれ少なかれ、他人がルールを守ると期待して日常生活を送らざるを得ない。
そのわずかな「信用」を手がかりに、詐欺師は「もう少し、もう少し」と振る舞う。だから、騙されてしまうのである。

評価は☆。
面白い本であるが、もう少し掘り下げが欲しかった。
実例は面白いのだが、単なるケーススタディを越えた見識が欲しかったので。

ある投資商品がある。
「これを買えば、絶対儲かるかね?」
と聞かれて
「絶対儲かります」だと詐欺。
しかし「儲かりません」では、営業マンはクビである。
「絶対といえませんが、私は儲かるように思います」はセーフ。しかし「それなら、あんたが買え」でオシマイだろう。
「儲かった人がたくさんいます」は、事実であればセーフ。ほとんどいなきゃアウト。「もちろん、儲け損ねた人もいます」だけど、それは言わなくてもいいのである。
現実の商品は、みんなこの狭間にいるのである。絶対に儲かる商品は、金利をタダ同然に下げるしかない。つまり「儲からない商品」にしなければ、絶対はないのである。
セールストークと詐欺の狭間は、実に微妙なのですなあ。