Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ファンドレイジングが社会を変える

「ファンドレイジングが社会を変える」鵜尾雅隆。

今回の東日本大震災を契機として、多くの義援金が寄せられている。
しかしながら、その配分がなかなかスムーズにいかずに、問題となっているのは周知の通りである。早い解決を願っている。

今回の大災害は、とても深刻なもので、簡単に「復興」とは言うけれど、そんな簡単ではないだろうと思う。
インフラの整備も大変だし、街に人が戻ってこないのを食い止めることもできない。
おまけに、放射能の問題は、間違いなく長期化の様相である。
つまり、支援活動についても、継続的に必要になるのだが。
日本人は「今、死に物ぐるいで頑張る」のは得意だが、のど元過ぎれば、、、とならないとも限らない。
寄付という活動に対する考え方が変わるかどうか、それが鍵だと思う。

ファンドレイジング、という言葉は本書で始めて知ったのだが、一口でいえば「寄付金募集活動」である。
アメリカでは、個人の寄付総額が2兆円なのだそうだ。一方、日本では2千億円強(本書による)
ただし、日本ファンドレイジング協会の寄付白書によれば、5000億円だという。
いずれにせよ、日米のGDP差を考慮にいれても、圧倒的にアメリカのほうが寄付が多いのである。
アメリカは強欲で、アメリカ社会は弱肉強食のひどい社会で、日本はみなが助け合って暮らす素晴らしい社会」だという天真爛漫な主張を揺さぶるのに充分な数字ですなあ(笑)。

思うに、そもそも、この数字自体の乖離に原因があるだろう。
つまり、アメリカのような寄付金控除の税制がない日本では、精確に個人寄付の推計が難しいという事情があるのだと思う。
菅総理も、浜岡原発の停止などというパフォーマンスをやるぐらいだったら、こういう税制改正のパフォーマンスをやればいいのにねえ。
(私は浜岡を止めたのがダメだとは思っていませんが、どうせ権力保持目的と思われてしまうのが限界ですなあ)

あとは、宗教団体への寄付がある。NGO団体には、宗教がらみのものだってたくさんある。宗教団体への寄付は多額だが、これをどう扱うか?
宗教は別枠だという考えもあるのだが、そのNGO宗教団体が義援金をたくさん払っている場合に、それは個人寄付としてカウントしないのか?などとう問題だってあるはずだ。
宗教関連団体といっても伝統宗教新興宗教では違うように思うが、あんまり言えば宗教差別になってしまうし。

で、それやこれをすっとばしても、私は本書の趣旨に賛同する。
つまり、これからは「寄付金の募集」を、一つの立派な職業として理解しなければならないのではないか、と思うのである。
NGO団体の人は貧乏をして、その家族も食うや食わずで社会貢献しろと、そんな話ではない。
それでは、少なくとも長期にわたる支援活動など不可能ではないか。
また、多くの寄付を集めるには、有り体にいえば「才能」がいる。商才といっては身も蓋もないけど、愚直が良いはずがない。
愚のあげくに、多くの労力を費やし、まったく成果が上げられなければどうだろうか?
それならば、いっそ「プロ」がいても良い、と私は思う。

評価は☆。
こういう分野の本を出した、というのは大いに評価されてよい。
また「素晴らしい活動をしていれば、自然に評価される」というNGOにありがちな考え方に「違う」と言ったのも素敵だ。
良いモノをつくれば売れる、というのは、ビジネスの世界だってあり得ない。マーケティングが必要なのだ。

ただ、不満点はある。
ズバリ、具体的な集金手法である。過去の募金者リストをつくろうとか、活動状況の報告をするなどは良いが、どちらかといえばレガシーな手段が多い。
いまや、マーケティングの世界の主流はネットである。
ファンドレイジング手法も、ネットにフォーカスしなければあり得ないはずだ。
ソーシャルネットワークなどは、ファンドレイジング活動にピッタリのはずだし(事実、フェイスブックの創業メンバーの一人が大規模にやっている)モバイルマーケティングだってそうだ。
その意味で、おそらく、これから「ファンドレイジング市場」が始動するだろうと思う。
これから日本社会に起こる変化を予兆した書だと思います。