Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

真田に似るか

今や菅総理の立てこもる官邸は、片田舎の小城程度のものでしかない。
勝ちにはやった小鳩軍は、官邸を十重二十重に包囲して、菅さんに「さっさと城を明け渡せ」と気勢をあげた。
そこで菅さんは、鳩山さんに面会していわく「はいはい、城は明け渡します。ついては、まずは城内を掃除しますので、しばらくご猶予を」と言う。
鳩山さん、これに気をよくして「あい分かった、神妙である」と。
ところが、菅さん、2,3日ほどごそごそしていたが、まったく城を明け渡すそぶりもない。
不安に思った鳩山さん、菅さんに使いを出した。「なぜ、早々に開城しないのか」
菅さん答えていわく「おかげで籠城準備ができました。さあ、存分にかかられるがよろしかろう」
「おのれ、たばかったな」
アタマにきた鳩山さんだが、時すでに遅し。天下分け目の関ヶ原(不信任案採決)に鳩山、小沢軍は間に合わなかった。
にも関わらず、民主軍は大勝利。自民軍は敗退。で、戦に間に合わなかった鳩山小沢連合軍のメンツは丸つぶれ、部将連中も続々脱落、もはや軍は瓦解の様相である。。。

というわけで、真田昌幸の有名な「上田城の籠城戦」と、菅さんの「辞めない戦術」を比較してみた。
まんざらでもないと思うのは、二人の共通点である。
真田昌幸は、言うまでもなく信州上田の小領主で、武田、北条、徳川といった大勢力に囲まれながら生き延びていかねばならなかった。
菅さんも、市民運動家出身であることはよく知られている。社民連新党さきがけという小勢力で生き延びてきた。
いわば、この二人は、小戦闘が得意なゲリラ戦術家という意味で、よく似ているのである。

鳩山さんは、いわば毛並みの良さだけが自慢で、決して政争には強くない。
小沢さんは「剛腕」のイメージが強いが、その実、なんども党を割っては追い出される側に回っており、そういう意味では、決して戦上手ではない。
この二人を手玉にとることくらい、百戦錬磨の戦術家である菅さんにとって、たやすい話だった。

そういう意味では、口先で「若い人にあとは譲りたい」などと言っているが、腹の中ではせせら笑っているだろう。
そんな甘いわけがない、やれるものなら寝首をかいてみろ、そういう気持ちであろう。
ましてや、自民党の谷垣さん石原さんなど、歯牙にもかけていないだろう。
「大連立」の餌をちらつかせ、本当のところは何も与えるつもりはない。
「大連立高砂」を謡って、うっかり踊り出す馬鹿者を、さめた目つきで見ているのだ。

惜しむらくは、この人は、戦術家であっても、政治家としての能力はまったくないことである。
真田幕府が開かれたようなもので、織田の開明性、豊臣の重商主義、徳川の安定感もないのである。
戦だけが妙にうまい。

こういうのを、本当に「煮ても焼いても食えない」というのであろう。
あまり馬鹿にしていると、足をすくわれかねない。
戦上手の老人は怖いのである。