Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

WIRED VOL1

雑誌wiredが新装してVOL1が発行された。
興味深い特集は「チェルノブイリ25年目の”楽園”」である。

特集の巻頭写真は、1988年に発見された突然変異を起こした豚の死体である。
足が六本有る。頭部は1つで、胸部も一つなので前足が二本ある。しかし、腹が2つに分岐しており、それぞれに後肢があるので、後肢は合計4本。
よって、足は合計六本となる。
もも肉が通常の倍とれるわけで、とても経済的で効率的な豚かもしれないが、私はこの豚を食する勇気がない。
原発問題に対するスタンスは、この豚を「素晴らしい豚」と思うか「気味が悪くて食えない」と思うか、そのスタンスの違いに似ているように思う。
もちろん、突然変異を起こした豚を食っても、科学的に人体に害があると認められているわけではない。
足が六本ある豚を食ってはいかん、というのが風評被害だとすれば、人は黙って其れを食うものだろうか。
私は、自分の看板を「差別主義者」に鞍替えして、食わないほうに回るのも手ではないか、と思うのだけれども。。。

さて、この特集では、事故後25年を経て、人間が退去したおかげで「野生生物の天国」となっている(観光地化する計画がある)チェルノブイリについて、二人の科学者の研究を伝えている。
一人の科学者は言う。チェルノブイリが、野生生物の楽園だというのは、まったく表層に過ぎない。問題は、それら野生生物の行動由来である。
チェルノブイリの外からたくさんの野生生物がやってくる。しかし、逆に、チェルノブイリから外に出て行った野生生物は非常に少ない。
普通に考えて、チェルノブイリ内で動物が繁殖して数が増えれば、その域外への流出が増えるはずだ。しかし、それは少ない。
つまり、チェルノブイリは生物にとってブラックホール化していると考えられる。一見、豊富な自然にひかれて動物が集まるが、その動物は、外に出られず中で死に絶えるほかない。
外部からの生物流入がないと、チェルノブイリは維持できない生態系である。

もう一人の科学者は、この意見に真っ向から反対する。
データには偏りがある、これは意図的だという。実際には、そのような影響は見られない。
チェルノブイリ内で突然変異が多いのは事実だが、それが放射線と因果関係があると決まったわけでもない。
ツバメは多くの突然変異が見られ、飛べなくなったり、色が抜けたりする。
しかし、大豆は、数年でこの環境に適応してしまったようだ。小麦は影響が深刻である。

問題なのは、人間がツバメに近いのか、それとも大豆に近いのか、判断する方法がないことだ。
さらに困ったことに、ロシア政府は、前者の科学者のチェルノブイリ立ち入り調査を禁止してしまった。
公園にして観光地化しようとしているロシアにとって、それに反する結果は困るのだろう。

チェルノブイリから漏れたプルトニウムは、これからアメリシウムだのネプツニウムだのといった物質に崩壊していく。
これらの核種が生物に及ぼす影響に至っては、まったく未知としかいえない。

放射線の怖さは、個体への影響というより、それがDNAを破壊することによる生態系の変化にある。
個体レベルでは、よほどの大量被曝を除いて、だいたい3年以上経たないと、ガン化等の影響はないものだ。ただちに影響はない、は嘘ではない。
ただし、その後の影響については、いまだ人類は未知であることも事実である。
低線量の被曝が健康に良いという説もあるが、真っ向から反対する説もある。しかも、いずれも個体レベルの議論にとどまっている。

太古の地球は、生物が居なかった。海洋中で発生した古代生物は、やがて植物プランクトンとなって酸素を大量に供給し、オゾン層をつくる。
これによって、恐ろしい放射線によるDNAの破損から免れ、生物は継続性をもって発展してきた。
放射線の怖さは、なによりも、それが地球の時計を逆回転させる存在であることである。
私は利己的遺伝子説(我々生物はDNAの乗り物である)を有る程度信頼しており、DNAの破壊を伴う放射線については、慎重であって当然だという考え方である。

菅政権の政策は、明らかにこれらの問題に対して、一定の評価を下すに足るものだろう。
つまり、平時では絶対に不可能な人体実験に等しいことをやったからだ。
いかなる結果が出るにせよ、貴重なデータに違いなく、菅政権も総理本人の願いどおり「歴史に名を残す」ことに成功したのかもしれない。
ただし、こんな人物が語る「反原発」を、私はまったく信用しない。

オレオレ詐欺」に引っかかった人のリストは、業者同士で高値で取引される。
なぜならば、その人物が、再び詐欺にひっかかる確率が高いからである。
「とにかく一度やらせてみよう政権交代」詐欺にひっかかった人は、次の名簿屋に「反原発」詐欺で売られるであろう。
これも貴重なデータといえるだろうか。

原発というからおかしいので、しかし、福島以前と同様の原発路線はあり得ない。
もっと身も蓋もなくいえば、すぐに原発撤退は不可能である。誰でも容易に理解している話だ。
ただ、そこになんらかの反省なり改善なりがなければならない。あるいは禊ぎがなくてはならない。そうでなければ、何が起こっても、人類は学ばないことになりかねない。
ところが、脱原発だ、停止要請だ、いや再稼働の要請だとやっている。
国が安全を保証しますなどという。バカバカしい。じゃあ福島は、国が安全を保証していなかったとでもいうのだろうか。

まともな政治家だって、いることはいる。だけど、今は話せなくなってしまっている。
福島が収束したときに、はじめて本当のことが出てきて、議論が始まるのだろうなあ。