Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

夏休みの宿題論

経済同友会の長谷川代表幹事が「縮原発」を提言された。
経済界といえば「電気が足りなくなると経済が失速する、原発推進だ!」しかなかったわけなので、大きな転換だと驚きをもって受け止められているようだ。
経済三団体の一角を占める同友会の「転向」だから、関係筋が驚くわけである。

しかし、これはなかなか、すぐれた提案であると思われる。
今年は「節電」で頑張っているわけだが、いつまで頑張れるかどうか、それはわからない。(人口が減るし、経済規模も低成長しか見込めないので、充分に足りるという悲観的かつ楽観的な意見もある)
現実的な解として、今の原発は電力の1/3を担っているわけで、全部止めれれば経済は大失速しかねず、大災害に匹敵する被害を出しかねない。
それならば、今の原発は維持しつつ、徐々に比率を減らしていこう、という案である。

実をいえば、私もこの同友会案に基本的に賛成である。
まず、福島を経験してしまった以上、現実問題として、原発の新規建設は、かなり困難さを増すだろうことは間違いない。
今までだって、周辺対策費で相当の出費をしていたが、さらなるコストがかかるであろう。それは、税か電気料金か、たぶん両方にかぶさってくると思われる。
太陽光発電の買い取り義務などの愚策をやれば、電気料金は相当のコストアップになるだろうが、原発だってコストは上がるはずである。
今は、電源三法があって特殊法人特別会計でやっているので原発のコストが見えないだけで、孫さんが狙っている太陽光発電の買い取り機構ができれば、そのコストが特殊法人化されてみえなくなるだろうから、計算上は「太陽光は最も安い電源」になるだろう。
これらはいずれも、市場原理を馬鹿にした話である。私は正しい市場原理主義者として、それは認められないぞ(笑)

私は、原発については基本的に容認してきた。推進派ではない。
今回の福島で、今まで「先延ばし」にしてきた夏休みの宿題がどっと出てきた。

田中角栄石油ショックの中、文字通り石油が買えないのでやむなく節電令を発した時、原発しか手段はなかったと思われる。
だから、そのときの決断を容認するし、そのおかげで日本はいつの間にか石油依存度が低くなり、その後の経済成長について優位に進めることができた。
では、角栄が残した「宿題」はどんなものがあったか?

1に、安全性である。極力、安全な設計はあり得る。しかし、その運用において、完全はない。いかに安全設計があっても、それが完全に運用されるとはいえない。
安全な設計とは運用ミスをカバーし得るものでなくてはならない。今の軽水炉は、そのアーキテクチャにおいて、そのようになっていない。
あえていえば、60年代の基本設計そのままではないか。角栄も、まさか半世紀を経て、原発が同じ基本設計であることを想定していなかったであろう。

2に、廃炉コストである。
そもそも福島第一原発が老巧化しているのに運用寿命を延ばしていたのはご存じの通りである。だから東電は「儲け主義」と批判されているわけである。
だが、その前提をよく考えてみて欲しい。
実は、商用原発の本格的な廃炉は行われていない。なんと、いったいいくら金がかかるのは、まったくわかっていないのである。
今、福島第一原発は、冷温安定を目指しているのであるが、その冷温安定とは何か?といえば、つまりは炉内に水を回して冷やすことである。
冷やすには、ポンプを動かす電力が必要である。その電力は、他の発電所からもってくる。だが、待てよ?熱源があるなら、そこで発電できるではないか?!
そう、つまりは「原発を冷やす」「冷やすには電源がいる」「電源の発電をするには、熱源がいる」「その熱源は、目の前の冷やそうとしている燃料がある。。。。」というポンチ絵になっているのだ。
廃炉にするよりも、運転した方が安上がりなのは言うまでもないが、逆に「発電できなくなるまで動かす」しか、廃炉にする方法がないのである。
無理矢理とめると、莫大なコストだけがかかってしまう。廃炉コストが出ないわけで、動かせるうちは動かしたほうが合理的なのである。
まさに「先延ばし体質」にピッタリなのである。困ったもので、老巧原発が立ち並ぶ原因である。
これらの廃炉にかかる費用は、まったく想像ができない。

3に、最終処分である。
廃炉コストが読めない大きな要因であるのだが、最後の「核のゴミ」を、捨てる場所がないのである。
なにしろ、敵は、3万年くらい放射能を出し続ける強者なのである。ヘタをすると、人類滅亡後も放射能である。まあ、そうなれば関係ないけどさ(苦笑)
そんな代物だから、原子炉そのものよりもやっかいである。で、みんなが「俺はイヤだぜ」という。
ゴミ捨て場がないのである。これも、廃炉ができない原因である。
無理矢理、ゴミ捨て場をつくるということになろうが、、、その場合のコストはどうなるか、さっぱりわからないのである。

4に、燃料そのものの持続性である。
今の軽水炉はウランを燃やすのだが、そもそもウランはいつまで続くのか?諸説あるのだが、およそ100年という予想である。
石油があと40年、石炭が130年と言われている。。。なんと、石炭よりも無いのである。
これでは、代替エネルギーというにはお粗末なので、なんとかウランだけでなく、プルトニウムを燃やそうと考えたのが高速増殖炉もんじゅ」であるが、、、海外の友人からも「爆発しなくて良かったね」と祝電はいるくらいの優れものだ(泣)
正直だめでしょ、これは。
菅総理がダメ元でやったスタンドプレー「浜岡停止」だけど、その停止後に、熱交換機の細管にかなりの亀裂が発見された。小さくしか報道されていないが、これがもしもナトリウムだったら即アウトである。
工作精度と耐久性なんて、現場レベルではそんなもんでしょう。
今の世界のウラン燃料の需要が7000トンで、うち産出量が4000トン、のこり3000トンを旧核兵器をばらしてロシアが売っている。
ロシアの放出品が終われば、これも値上がりする。途上国はこれから原発やる気まんまんだから、実は、化石燃料並にウランも値上がりするという予測もある。
今から頑張って、ますますウランに傾斜して、最後に「ウランショック」を被るのは得策でない。

5に、国防の問題である。
プルトニウムが目の敵にされるのは、言うまでもなく原爆の材料だからである。
プルトニウムの再処理技術は原爆生産技術に直結するので、核を持たない日本としては、原発をもって再処理もやって「潜在的保有可能国」であることが重要である。
実は、私も、この側面は無視できないと考えている。(私は核武装については保留する立場であるし、それが得策であろうと思っている)
しかし一方、今回の事故によって、原発そのものが国防上のウィークポイントであることも明白になった。
原発をテロや馬鹿な隣国からどう守るか、これも課題である。

以上述べた5点は、実は今更始まった問題ではない。
先に述べたとおり、日本がOPECショックを受けたときに、とりあえず原発を推進しはじめた。そのときからの課題であった。
彼ら先人は、後代の日本人の知恵にこの問題をゆだねた。
そうしたらどうなったか?

夏休みの宿題よろしく、「そのうちやればいいさ」と先送り。今日に至る(泣)

「だからやめちまえ」と脱原発派は言うわけであるが、現状の原発をいきなり代替できるエネルギーはないし、上に述べた廃炉およびコスト問題をどうするのであろうか?
脱原発の見返りに、大量の廃棄物の墓場を、ただちに準備せねばならないし、それにかかるコストを、発電低下して弱った経済で支えなければならないのである。

しかし、推進派の「だから推進」も、脳天気すぎる。
夏休みの宿題は、いい加減にやらなきゃまずいでしょうが。でないと、31日に地獄が来るぞ(経験多数)。

なので、とりあえず同友会の「縮原発」はアリだと思うのである。
発電については、エネルギー分散化をすすめながら、原発への依存比率を下げる。
その上で、最終処理を視野に入れた技術開発を進めるべきである。ウラン-プルトニウムアーキテクチャは見切りをつけてもいいと思う。
将来的には熱核融合炉が魅力的であるが、それまでのつなぎはトリウムでもいい。
さらには、ウランには、その濃縮に石油が必要という脱力するような事実があるのだが、トリウムだってそれは同じではないかと思う。
石油を生産する藻(オーランチキトリウム)は、意外にダークホースかもしれない。
濃縮燃料を必要とするウラン消費国に売りつけるのだ。儲かるぞ(笑)技術大国日本の復権である。

目先の問題と、今まで先送りにしてきた問題をごちゃごちゃにしてはならない。
今は苦しいので、とにかく目先をやりくりするほかないが、やりくりできて遊び暮らしたら問題が自然に解決するわけではない。
宿題は、いつかは必ずやってくるというのが、私のささやかな人生訓なのである。