Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

蒼穹のかなたへ

蒼穹のかなたへ」ロバート・ゴダード

丁寧なストーリー展開に定評のあるゴダードであるが、やっぱりこの人は歴史物が強いのだと思う。
本作も、決して悪くはないが、どうも私には、もう一つ、物足りなさが残った。

主人公ハリーは、50を過ぎてロードス島の元部下(この部下がすごく優秀で、政治家に転身している)の別荘を管理している。
50才を過ぎて独身、英国で失敗し、気楽な職業で毎日酒びたり。人生の敗者というコンプレックスは持っているわけだが、それなりに気楽であろう。
そこに、旅行で若い女性ヘザーがやってくる。
彼女と意気投合したハリーだが、その彼女は一緒に登山している途中で、忽然と失踪してしまう。
警察も捜したが、行方がわからない。
ハリーはいったん容疑者となるが、警察の捜査で容疑は晴れ、英国に戻ることになる。
英国では、別荘の持ち主であるダイサートの協力を得ながら、ヘザーの足跡をたどっていく。
やがて、ヘザーは唐突に見つかるのだが、それには、ある理由があった。。。

たしかに、どこにも悪人の出てこない物語であって、善意の恐ろしさという帯の惹句は当たっている。
ただ、私には、そこがどうも物足りないらしい。

たとえば、カズオ・イシグロの「日の名残り」などは、まさに善意と郷愁のカタマリのような小説だが、非常に好きである。
しかし、この小説は違う。
登場人物が「善意にあふれた人物」であるのと、登場人物の視線が「善意にあふれている」のは、これは異なるのですな。
私は、善意にあふれた人物ばかりの小説を(そして、それが悲劇を生む結果につながっている)あまり落ち着いて読むことができないのだ。
おそらく、私自身が、疑り深い小市民であるから、でしょうなあ。

評価は☆。
面白くないわけじゃない。ただ、もうひとつのめり込めなかった。

世の中には、その人が善意にあふれているからと言って、その行動の結果が善意の結果になるとは限らない。
ルーピーと呼ばれた鳩山前首相は、おそらく個人的には生粋の善人ではないかと思う。
しかし、その彼が目指した友愛政治は、残念ながら日本政治に一層の混迷をもたらしただけであった。
今の菅総理には、その善意すらないであろうが。。。

そういう事例ばかり見聞していると、善意がもたらす悲劇に飽き飽きしているのかもしれませんねえ。
事実は小説よりも奇なり、ということもあるわけである。