Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ホームレス失格

「ホームレス失格」松井計

冒頭、有名な新宿の「殴られ屋」晴留屋明氏が登場する。殴られることで日々の糧を得る元ボクサーである。
著者は、その殴られ屋の仕事を1日だけ手伝い、報酬をもらう。自分も「殴られ屋」をやってみたが、うまくいかなかった。
あの商売だって、そんな簡単なものではないのだ、、、そういう回顧とともに、本書は幕を開ける。

著者は、まったく本が売れず、書けなくなり、ついにホームレスになった。
妻子は福祉事務所に預けた。
そこで、その体験を赤裸々につづった「ホームレス作家」を上梓したところ、これが大反響となる。
編集者からまとまった印税の前払いをうけることができて、ようやく著者はホームレスを脱する。
そこで、今度は妻子を迎えにいこうとするのだが、品川区の課長はこれを妨害する。
「あなたには、妻子を扶養する意思も能力もありません」
著者は、激しく反論する。意思があるから、迎えに来ているのだ。
扶養できなかったのは、それだけ貧乏だったからだ。ようやく稼いで、迎えにきた。
さあ、妻子に逢わせてくれ。

著者の願いを、福祉課長は聞き入れることはない。法的根拠のない主張を繰りかえし、最後には離別を「指導」される。
妻とようやく会えたのは、離婚調停の家庭裁判所であった。。。

評価は☆☆。
古来、作家という商売は食えないものと決まっている。
だから、食える作家が珍重されたのである。文才があれば、作家になれるというわけではない。
無謀な試みに挑戦し、確率の悪い賭けに勝たなければいけないのである。
そのささやかな市場すら、最近は出版不況で、もはや絶滅寸前なのであるが。。。
だから「もの書き」になろうとしたら、このような事態は充分ありえるであろう。
品川区の課長が、著者を認めないのは、まともに妻子を養う気があるなら、どうして食えない文筆業などしているのか、という点も含まれるのに相違ないと思う。
ただ、口に出して言えば、職業差別だから、歯切れの悪い言葉が並ぶのであろう。

本書は、当たり前だが、これらのやり取りはすべて著者の目線で書かれている。
それをもって「公平性がない」などという人もいるようだ。馬鹿である。自分の妻子を迎えにいけない事態を、公平に書くのは馬鹿のすることである。
「私の妻子だから、私に返すのが当然だ」そういう主張をするのが当然で、妙に「公平」な観点で書いたら、それは本人の作品としては、よほどヘンである。

これで、いいのだ。