Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

四人の連合艦隊司令長官

「四人の連合艦隊司令長官」吉田敏雄。

男子がやってみたい3つの職業、という俗説がある。
1に、指揮者。
2に、プロ野球の監督。
3に、連合艦隊司令長官
いずれも「男子の本懐」を遂げられる職業というわけであろう。
「総理大臣」が入ってないのは、、、まあ、仕方がないわな~(苦笑)。
ちなみに、この3つ、どれが来ても私は怖気をふるいます。なにしろ、臆病なので(泣)

著者は海軍士官経験があり、大東亜戦争中の4人の連合艦隊司令長官について、その作戦思想、人となりを紹介したものである。
含蓄に富んだ面白い本である。

まずは山本五十六だが、彼の最大の武器は人的魅力であった。
作戦面では、黒島亀人を重用した「博打」の側面が強調されがちだが、実はその末期で、黒島を変えようと決意していたことが紹介されている。
山本の胸中にあったのは、小沢治三郎だったようだ。航空戦の専門家が必要というのが山本の結論だった。
しかし、暗号の漏えいを気づかないまま、無念の戦死を遂げる。

あとを継いだ古賀峯一は、なにを考えているかわからない無表情な男であった。
山本の後任で、退潮に向かった戦線を縮小することを考える。当時「絶対国防圏」といったが、戦略的には攻勢終末点である。
補給と戦力を考えて、なんとかテニアン-グアムの線で米軍を食い止める一撃を放つ、というのが古賀の構想であった。
ところが、この構想は、海軍乙事件で終焉を迎える。
前線視察に出かける古賀と参謀長の福留の飛行艇が墜落、古賀は死亡、福留はゲリラに捕まって生還する。機密文書を抱えたままの墜落だったが、福留は軍機を漏らしていない、と言い張る。

古賀のあとをついだ豊田は、ほぼそのまま、古賀の作戦(あ号作戦)を発令する。
戦後にわかったことだが、ゲリラは、機密文書をそっくり米軍に提供していた。福留はやはり自白していたものであろう。
待ち受ける米軍に、連合艦隊は航空戦力をほぼ喪失することになる。以後、組織的な空母作戦を日本は展開できなくなる。
明白な落日であった。
豊田は、その几帳面な人格と合わせて人望がなく、作戦面でもひらめきを欠いた。
海軍は、先任がすべての世界であるから、豊田以下、主だった連中をすべて名誉職にあげて、ようやく最後に海軍が切り札としてだしたのが小沢治三郎である。
しかし、すでに小沢が指揮すべき飛行機も軍艦も、ほぼ潰えてしまった後であった。
小沢は、陸上基地を中心に抵抗戦を指揮する長官になってしまった。


評価は☆☆。海軍出身者ならではの視点があって、うなずかされることの多い名著であると思う。
一読して損はない。

ところで、最近「山本五十六陰謀論」が一部にあるようだ。
日本の窮地を招いたのは、山本の真珠湾作戦が原因である、海軍は対米戦でわざと負けて国難を招いたのではないか?はなはだしいのは、山本はユダヤのスパイだ、というのである。
思うに、これは陸軍と海軍の軍制の違いに無知なことから生じている。陸軍と海軍は違うのである。
陸軍の参謀は、作戦の企画から実行まで、自分一人で行う権限がある(だから、暴走しても牽制が効かない)
一方で、海軍の場合は、軍令部がスタッフであり、艦隊はラインである。ラインとスタッフの組織は、海軍の組織がもともと英国にならったものだからである。
海軍の参謀はスタッフで、長官はラインである。海軍参謀は長官(ライン)を補助するために派遣されているが、長官の部下ではないのである。
長官は、あくまでスタッフ(軍令部)の指示の下、実務上の作戦だけに携わる。参謀に意見打診をするが、最後は長官自身で決めるわけである。
いつ開戦するか、どこと開戦するかはいうに及ばす、次の作戦目標はどこにするかまで含めて、海軍では軍令部が決める。長官に権限はない。
陸軍の軍制であれば山本批判はわからぬではないが、海軍では違う。
大東亜戦争を惜しむ(少なくとも戦後のアメリカの横暴を食い止められたとか、属国にならずに民族自決を実現できたとか)のはわからぬではないが、しかし山本批判は違う。
その批判の仕方は、陸軍でないと通用しない。今の山本批判は、もしもそれが真実なら、その大半は軍令部の永野修身軍令部長に向けられるべきものなのである。

まあ、負けた戦だから「あいつが」「あのとき」と思うのは仕方がないが。それは、むしろ「負け戦をした反省」に向けられるべきことだろう。
反省のない批判は、ただの中傷である。それはまずいだろうと思っているのだけどね。