Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた

「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」古川愛哲。副題は「サムライと庶民365日の真実」。

たぶん、この本は副題のほうがもとのタイトルだったのではないかと思う。
で、敏腕編集者が「このタイトルじゃ、売れないな~。よし」とくっつけたのが本書のタイトル。苦労がしのばれます。

つまりは、本書の内容は、タイトルとは(ほぼ)似ても似つかない内容、なのである(苦笑)
だからダメというのではなくて、充分面白いのであるが、まあ、商策というのは大変だ、などと思うわけだ。
つまり「本書のタイトルは、編集によってねじ曲げられた」と。(笑)
なにごとにも、都合というのは存在するわけであるなあ。

で、本書の内容であるが、これはもう江戸雑学集なのである。
鮨はファーストフードだったとか、蕎麦のほうが高級だったなどというのは有名なのだが、たとえば下半身事情などの話が面白い。
「つゆ稼ぎ」といって、女性たちに「○助交際」がかなり普遍的にひろがっていたこととか、女房の貸し借りがほんとにあったこととか、その挙句に長屋に「ほんとの父親がわからない」子供ができてしまい、仕方がないので「身に覚えのある」おやじたちが共同で育てていたこととか(笑)。
落語に出てくる八っつあん、熊さんが長屋の小僧の面倒を見ているわけが、ようやく合点がいくわけである。

あとは、江戸城総登城の日は江戸市中は大混雑で、庶民は大迷惑をこうむっていたこととか。つまり、江戸の昔から渋滞は名物化していたわけである。

白眉なのは下肥の話で、なにしろ当時で世界最大の100万人都市だ。当然、100万人の下肥がでるわけである。
江戸は優秀な完全リサイクル社会なので、この下肥のリサイクル業者(笑)がいて、肥桶をかついで「えい糞」と掛け声をかけながら、あちこちを走り回っていたそうな。
この売上を受け取る権利は家主にあったようで、かの滝沢馬琴も自分の所有する長屋の下肥の価格が安い、と下肥屋に交渉しているらしい。
というのも、当時の下肥にランクがあったようで、早い話がうまいものを食っている上流階級の下肥は高く、貧民のは安いのである。なんとわかりやすい(爆笑)
それで馬琴は「おい、うちの店子は、そこまで貧乏じゃないぞ」と言ったのであろう。笑えます。

評価は☆。まあ、楽しんで読めるので、いいんじゃないかな。

ちなみに、表題の件だが、武士の生活が日本人の原点になって皆が素晴らしいというようになったのが大正時代ということなのである。
日清日露の戦争に勝って、相応の伝統がないと困る、ということになったからであろうか。
現実は、新渡戸稲造の武士道ほどはかっこよくなかったわけである。
この影響はいまにも残っていると思う。
なにしろ、当時の人口比率からいえば、武士は全体の1割未満である。
なのに、今日の人に「先祖の職業」をきけば、武士と答える人の多いこと(笑)
私は、いつも「百姓です」というのだが、そうすると相手はたじろぐ。こういう場合は「武士です」と答えて、相手のお追従を受けねばならぬものらしい。
しかし、「先祖はそんなに偉かったのに、ねえ。。。」と言われたら、いったいどうするつもりであろうか。
「あなたのような人が生まれて、ご先祖様もさぞお喜びでしょう」と言われたほうが良いと思うのだけどなあ。

ところで、日本には古来、生野菜(サラダ)を食べる習慣がなかった。だって、肥料は、、、よく知っていたわけだから(笑)
戦後、GHQがやってきて、彼らがサラダを食べようとして仰天する。で、あわてて化学肥料と農薬を導入するわけである。
おかげで、今日、われわれは安心してサラダを食べられるわけであるが、そのかわり、完全循環社会は崩壊したのである。
そう考えると、循環社会を捨てて、文明生活を手に入れたわけだから、ほんとに「進化」だったのかは、なかなか判断しづらいところがある。
GHQ施策を批判する人々においても、この「サラダ」文化批判の声はあまり聴かれない。
GHQは憎いが、サラダは食いたい、そういうことなんでしょうかなあ(苦笑)