Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

蒼龍

「蒼龍」山本一力

著者のデビュー作品、オール読物新人賞受賞の「蒼龍」が収められた短編集。
いずれも、素晴らしく水準の高い作品ぞろいで、はずれがない。
なかでも、読後に印象に残るのは、表題作の「蒼龍」で、決してうまいとは思わないけど、著者の迫力が感じられる。

筋立ては、ふとしたことで大借金を背負ってしまった大工の職人夫婦の物語である。
ふたりは、必死に働くが、借金を返せず、なんとか増えずにいる程度。
子供もできて、いよいよ進退窮まったとき、日本橋の大手の陶器商が「来年初売りの茶碗の絵柄」を公募しているのを知る。
採用作品には、謝礼が支払われるのだが、その謝礼は印税方式で、茶碗1つに対していくら、となっている。
当たれば、借金返済ができる。
単なる大工職人ではあるが、子供のころから絵はうまいと褒められていた主人公は、妻に励まされ、応募を決意する。
貧乏なので、高価な日本画の岩絵の具は買えない。
主人公は、赤い端切れを嘴にあしらった鳥の絵を出す。
発表日の前に、陶器商の使いが長屋を訪ねてきて、最終選考に残ったと知らせてきた。
当日は、店に来てほしい、という。
信じられない気持ちと期待がないまぜになり、当日。
採用作品は、有名作家の柄であった。主人公は、わずかの謝礼を手に帰宅する。
すると、妻がいう。
まったくの素人で、初の作品が佳作。諦めることはない、あなたはやれる、と。
主人公は気を取り直し、翌年も応募する。
しかし、今度は落選。
気を落とす主人公に、妻は言う。
たしかに、今年の作品は、昨年に比べてうまくなった。
けれども、なんとなく「うまい」だけで、妙な迫力がなくなった。「うまい」だけの作品ならば、巷間いくらも作家があるだろう。
それに飽き足りぬからこそ、陶器商は一般応募をしているのではないか、と。
はっとした主人公は、己の原点に戻ることにする。
それは、青一色で描いた「蒼龍」の柄であった。
貧乏のどん底から、竜のように登って、なんとか抜け出したい。その勢いと熱い願望があふれた作品であった。
そして、応募。
再び、最終作品に残ったようである。主人公は、結果を見るために駆け出す。。。

夫婦のお互いを思いやる気持ちが細やかで、かつ、応募の場面の期待と緊張感、そして落胆は実にリアル。
そう、このとき、著者は、まったく同じ境遇にいたのである。

個人事業に失敗し、背負った借金が2億円。
債権者の前で頭を下げてすみません、と謝る。「いったい、どうして返すつもりだ!」厳しい声が飛ぶ。
そこで、山本一力は答えた。「はい、小説家になります。小説を書いて返します」
ならば、と債権者は納得したのである。
著者の筆力は、彼の周囲で、すでに認められていたのである。
そして、苦節3年。オール読物新人賞を経て、見事に作家デビューした。
もっとも、デビュー後のほうが、生活は大変であったらしい。
作品を出さねば、収入がないのである。
多くの新人賞作家が、この壁を越えられずに、また埋もれていく。

私の知人も、かつてオール読物新人賞を受賞した。
現役の時代作家である。
2回、佳作をとっていた。
あれは、ちゃんと事前に出版社から電話が入るのである。
佳作をとれば、翌年も応募してほしいと担当者が言ってくる。才能がある、とみて、育てようとするのである。
そして、発表日。
必ず連絡のつく電話番号聞かれる。そこで待機する。
知らせは、夜8時過ぎにかかってくる。「もしもし、、、」そこで「おめでとうございます」と言われたら受賞なのである。
たいていの新人は、静かに自分の部屋で、一人で待つ。
その時間のせつなさと、期待を想像してほしい。
その時間が、この「蒼龍」には、見事に描かれている。

作家になりたい人は、まず、自分が良いと思うものを評価してくれる賞に応募するのが一番である。
仮に、大賞をとれなくても、最後まで争った作品ならば、必ずデビューの道は開けるはずである。
貫井徳郎「慟哭」や高見広春バトルロワイアル」がそのパターンである。
隠れた才能は、必ず見出されるはずである。
その受賞した知人も述べていた。
「自分の作品に対するいかなる友人、知人の意見も参考にしなかった。ただ、受賞できるかどうか、それだけを思っていた」と。
周囲の評価に右顧左眄するなかれ。
人には、好き嫌いがあるものだ。「その人」の意見は、すべてではない。
しかし、プロの出版社は違うのである。
プロになりたければ、プロに価値を問うしかないのである。
あとの情報は、すべて雑音と割りきることが必要である。

世の中には、なんと75歳でデビューした作家だっているのだぞ。