Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

日本の難点

「日本の難点」宮台真司

私は宮台ファンではないのであるが、しかし、この人の論理の切れ味の鋭さにはいつも感心する。
地頭がいいって、たぶんこういうことを言うんだなあ、と。
で、本書である。
やっぱり面白い、けど、すごくヘビーな内容を含んでいるなあ、と思う。
好き嫌いは抜きにして、やっぱり「買い」じゃないかなあ。

著者は冒頭で、今の日本を「社会の底が抜けた時代」だと語る。
この言語感覚でキマリである。「ああ、なるほどなあ、うまいこと言うなあ」と思ったら、最後まで楽しく読める。
これは、冒頭にまず一発カマシているわけだ。
私は、ここでまずやられた。あとは、なすがままである(苦笑)

しかし、宮台氏の指摘する社会問題は、縦断的に(教育から対米従属、秋葉原事件から援○交際、環境問題か農業まで!)語られているものの、その一つ一つを取りだしてみると、取り立てて異常な主張ではない。
結論部分が見えにくくなっている部分があるものの、本書の中で、宮台氏は特に「結論を出すこと」を使命として考えているとは思えず、あくまで著者視点からの論理的な帰結がさらっと書いてあるだけだ。
だから、いわゆる「俺の話をきけ!」というトンデモ本ではなくて、社会学の本なのである。

年次改革要望書に沿って日本が米国に有利な方向に「改革」されていることは事実だ。
これによる問題も相当あるわけで、著者は、その背景として日本の防衛力の弱さ(軍事だけではなく経済、食糧、エネルギー含めて)の足元を見透かされてのことであると指摘し、よって「対米依存・軽武装」から「対米中立・重武装」へのシフトを提言する。
これは、ひとつのロジックとして完結している。
私はこの結論に飛びつかないが、理由は簡単で、日本のパワーエリートに対する信頼(著者いわく、ほんとにすごい奴は利他的)がないからである。
人格もそうだが、能力も信じていない。先天的に、政治がへたくそなのが日本人だと思っている。
日本が対米依存をやめたら、きっと中立ではなくて「孤立」に陥るであろう。
戦前がそうであった。重武装、対米中立、あまつさえロシアを破り、まさにアジアをリードする強国だったからこそABCD包囲網に落ち込んで敗戦。
我が国のへたくそな外交能力で、自主独立路線は無理なのだから、対米依存のリスクを勘案してもなお対米依存のほうがマシではないか、と考えているのである。
対米従属による「痛み」は、コストを払っていると観念したほうがよい。
自分が痩せたソクラテスであるよりも、太った豚でいたい、と心から念願する人もかなり多いと思うのだがね(笑)。

本書のラスト近くの指摘が超ヘビー。
著者は、日本人のコミットを柳田國男に求め、ずっと一緒にいたという「近接性」しかない、という。
最期に「日本人とはナンデスカ?」と聞かれたら、それは故郷の景色とずっと一緒にいたという近接性しかないんだ、という。
だから、日本の農村を守らなければいけない、農協という農地販売利権の利益団体ではなくて、農家そのものを守らなければならないと言う。
ああ、そうだなあ、と私は思う。

しかし、原発事故で、その故郷の景色を失い、日本人としてずっと一緒に暮らした証拠(つまり、先祖代々の墓)にお参りもできない人がたくさん出たとき、「日本人」はどうしたであろうか?
簡単であって、故郷に帰れない(同じ日本人としてコミットする対象がない)ことよりも、まずは算盤をはじいて、原発を再稼働したほうが得であるという利益計算を共有化したのである。
日本人がコミットしたものは、柳田國男の描いた近接性ではなくて、利益計算をともにするという経済であった。
これは、経済が異なれば、日本人として共通するコミットを持てないだろうことを示すと、私は考える。
円をたくさん儲けることについて、原発事故を乗り越えた日本人は見事に一致団結したわけだ。これぞ「合理的判断」というものだろう。

新自由主義市場原理主義はイコールではなくて、新自由主義を成り立たせるためには、分厚い「世間」が必要である。
しかし、市場原理主義は、いつの間にか国家を飲み込み、世間を超えたのだ。
これは、私は「仕方がないこと」と思う。

残念ながら、宮台氏の観測を、現実の日本人は軽く飛び越えてしまった。
つまり、宮台氏の考える「日本」など、どこにもなかったのだよ。
だから、本書の「日本の難点」というタイトルは、少なくとも今の日本には合っていないと思う。

評価は☆。
一読の価値がある良書である。

ところで、経済的利益が国民の共通の願いであれば、そもそも国家の存立基盤としてどうなのだろうか?という疑問が残る。
たとえば、北方領土の返還がされると、それによる経済的利益よりも、防衛費および行政費(税収が期待できないから)で赤字である、国富の流出になるのでやめたほうが良いという意見がある。
他の離島においても、同じような状況のところはあると思われる。(尖閣は石油資源があるから別格であろうが)
これらの領土においても、日本人は原発と同じように「算盤」をはじいて決めるのだろうか?
私は、ことの行く末を、とても興味深く見つめてしまうのだ。
「日本人」としてはいかんかな、と思うのですけれどもね(苦笑)