Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

露の玉垣


昨日の記事に書いた井上久助の話は、この作品集の中に挿話としておさめられている。
実際に、新発田藩の家老、溝口半兵衛が藩の世臣譜19巻10冊を書き残した。
それらの中におさめらたのは、歴史上まさに名もなくうずもれた人々であるわけだが、その中から丁寧に救い上げた素材をもとに書かれたのが、本連作短編集である。

今でこそ米どころとして知られる新潟であるが、新発田藩は実際には豪雪とたびたび決壊する川、日照りかと思えば冷夏に悩まされ、まさに貧窮で苦しむ小藩であった。
農業生産は戦後、単位面積当たりでは江戸時代の4倍に及ぶ。そのうち2倍が品種改良、さらに2倍が農業技術によって達成された。
化学肥料や農業機械の進歩によって、今では飢饉の心配がないのだが、これらはすべて石油文明の賜物である。
石油が枯渇すれば、一番に心配されているのが食糧生産なのであるが、これらのどれも原子力では代替できないのである。
原子力の価値は、ひとえに石油の寿命を延ばすことにある。
第一、石油がなくてはウラン鉱山すら掘れないし、精製もできないわけで、、、閑話休題

そんな小藩で、早い話が金がない。
カネはないが、いくら小藩であろうとも、武士は武士である。
食うに困って、庭をすべてつぶして田畑にし、来客が来たときに肥桶をかついでいようとも、武士は武士である。
そんな武士が奉行に任じられると、農民がいう。「あなたなら、私たちの苦しみをわかってくれると思っていた。よかった」と。
彼は、この役目に身を投じる覚悟を改めてする。

そんな、貧しい中でも武士の矜持を持ち続け、苦闘した武士たちの話ばかりが収められている。
何も画期的な解決があるわけではないが、それでも懸命に生きる人々の姿である。

評価は☆。
正直なところ、なんのカタルシスもない、やりきれない話も多い。
ただ登場人物たちは、それでもうなだれず、必死で苦境に立ち向かう。
その姿を淡々と描く。

窮乏はつらいものである。
今だって、窮乏はつらい。つらいから、政治がなんとかしろという。あるいは、生活保護の行き過ぎだという批判もある。
財政が持たないという。あるいは、経済が沈むから、この際なんでもアリだという。
国益というから、なんの話かと思ってみたら、カネの話だったというのが今の大概の話のオチである。

貧しいのはつらいし、食えないのは不幸だし、それで首をくくる人が出るのは傷ましい。
だから、なんとかしなければいけない。
しかし、金さえあればなんでも解決すると、そう皆が自然に考えるようになった。
親が死んだのを隠して年金を不正受給するのも金ならば、原発問題もつまるところ金である。
日本人が、金勘定にあけくれ、とにかく金の心配ばかりをするようになった。

金がないのはつらいことである。
だから、それは仕方がない。恒産なければ恒心なし、と昔の支那の偉人も言った。

金がなくても、矜持を持って生きた人々の世の中は終わった。
それは、武士の生き方であるから。
今は、民主主義の世の中である。武士は時代遅れになった。

民主主義とは、金のことと見つけたり。